翻訳と辞書
Words near each other
・ ビンセント形摩擦プレス
・ ビンソン
・ ビンソンマシフ
・ ビンソンマッシーフ
・ ビンソン・マシフ
・ ビンソン計画
・ ビンソート
・ ビンタ
・ ビンタ!
・ ビンタ!〜弁護士事務員ミノワが愛で解決します〜
ビンタイ市場
・ ビンタン
・ ビンタン (ビール)
・ ビンタン島
・ ビンダリー
・ ビンダルー
・ ビンチェンツォ・イアキンタ
・ ビンチェンツォ・イアクィンタ
・ ビンチェンツォ・グレッラ
・ ビンチェンツォ・モンテッラ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ビンタイ市場 : ミニ英和和英辞書
ビンタイ市場[ば]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [し]
  1. (n-suf) city 
市場 : [いちば, しじょう]
 【名詞】 1. (the) market (as a concept) 
: [ば]
 【名詞】 1. place 2. field (physics) 

ビンタイ市場 ( リダイレクト:チョロン地区 ) : ウィキペディア日本語版
チョロン地区[ - ちく]

チョロン地区( - ちく、, 「大市場」の意。)はベトナムホーチミン市にあるベトナム最大の中華街である。
== 歴史 ==
1778年広南国を支援していたビエンホア()の華人(ホア族)が西山朝の軍隊の報復を受け難民となり、現在のチョロン地区に暮らし始めた。1975年以前、南ベトナムには120万人の華人が在住しており、うち110万人はチョロンを含むサイゴン周辺に集中し、さらにそのうち70万人がチョロンに居住していた。
ベトナム戦争終結後、私企業の国有化と資産階級の資産制限などの社会主義化、また中越戦争前夜の人種的緊張により、大量の華人が難民としてベトナムから国外に流出した。そのため、1978年にはチョロンの華人人口は10万人にまで減少した〔読売新聞夕刊 1992年9月8日および9月9日〕。ベトナム全体では、1975年以前に145万人いた華人人口のうち111万1000人が第三国に移住し、1994年の華人人口は28万人にまで減少している〔若林敬子「中国人口超大国のゆくえ」184、185頁 岩波書店 1994年〕。ドイモイ以後は国外から帰国する者も増え、チョロンの華人人口は50万人ほどに回復した。ホーチミン市に住む華人のほとんどがチョロンに住んでいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チョロン地区」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cholon, Ho Chi Minh City 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.