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ビントリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ビントリー ( リダイレクト:デヴィッド・ビントレー ) : ウィキペディア日本語版
デヴィッド・ビントレー[ちょうおん]

デヴィッド・ビントレーDavid Bintley CBE, 本名: David Julian Bintley〔Hetherington, Monica, "David Bintley", ''International Dictionary of Ballet'', vol.1, St. James Press, 1993, ISBN 1-55862-157-1, p.150.〕, 1957年9月17日 - )は、イギリスバレエダンサー振付家
1995年よりバーミンガム・ロイヤル・バレエ団 (BRB) の芸術監督。2010年9月に日本の新国立劇場舞踊監督に兼務で就任した。
振付家としてこれまでに50作近いバレエ作品を生み出している。作曲家に新規に作曲を委嘱してつくった作品は10を超え、これは21世紀に活躍するバレエ振付家の中では際立って多い。
== 来歴 ==
英国ウエスト・ヨークシャー州の町・ハダーズフィールド生まれ。両親は製図を本業とするジャズの演奏家〔「バレエに魅了された幼い魂の遍歴」(ダンスマガジン 2008年1月号 〔第18巻第1号〕、新書館、p.38.)〕であり、子供のときからジャズの生演奏を聴いて育った〔"Musical Moves...a choreographer's relationship to music ", BBC Radio 4, 1990〕。4歳のときに初めて舞台を観て、将来は劇場に関わる仕事に就くことを決心したという〔Edmonds, Richard, "The Saturday Interview: No outsider to creating small miracles - David Bintley ", ''Birmingham Post'', Jan 25, 2003〕。やがて地元ハダーズフィールドのオードリー・スペンサー〔に舞踊を習い始める。このほかコメディアンの早口口上や歌謡に挑戦したこともあった〔。
1974年、ロイヤル・バレエ学校の上級学校に入学。在学中からロイヤル・バレエ団の創設者ニネット・ド・ヴァロアに目をかけられ、振付を奨励された〔Mead, David, "Putting the 'English' into Ballet ", ''ballet ~ dance magazine'', April 2010〕。1976年の卒業と同時にサドラーズウェルズ・ロイヤル・バレエ団(現在のBRB)に入団し、アシュトンリーズの結婚』 シモーヌ役、ド・ヴァロワ 『チェックメイト』 赤のキング役など、キャラクターダンサーとしての役を多くこなした。1984年には 『ペトルーシュカ』 のタイトルロールを踊り、同年のローレンス・オリヴィエ賞を受賞〔Additional Dance Awards ("The Laurence Olivier Awards: full list of winners 1976-2008", The Society of London Theatre, p.15)〕。ダンサーとしては公式な引退公演はなく、1993年の出演が最後だったと見られている〔。
振付は1978年、20歳で作った 『異邦人』 を処女作として、以降毎年1〜2作をサドラーズウェルズ・ロイヤルで発表していった。1983年〜85年は同バレエ団の常任振付家、1986年から93年まではロイヤル・バレエ団の常任振付家を務めた。1988年にロイヤル・オペラハウスで初演された 『ペンギンカフェ』 は代表作の一つとなる。1993年から約1年間はフリーランスの振付家としてサンフランシスコ・バレエ団など複数のバレエ団で振付を担当した。1995年、引退したピーター・ライトの後を継いでバーミンガム・ロイヤル・バレエ団(旧サドラーズウェルズ・ロイヤル・バレエ団)の芸術監督となった。
新国立劇場では2005年に 『カルミナ・ブラーナ』 を上演したことが機縁となり、2008年9月芸術参与に就任。同年11月に新作 『アラジン』 を発表した。参与としての2年間の準備期間を経て、2010年9月、牧阿佐美の後任として同バレエ団の芸術監督に就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 David Bintley 」があります。




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