|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ビー : [びー] (n) bee, (n) bee ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) ・ 王国 : [おうこく] 【名詞】 1. kingdom 2. monarchy ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country
ビーダル王国(ビーダルおうこく、Bidar Sultanate)は、15世紀末から16世紀後半にかけて、インドのデカン地方中部に存在したイスラーム王朝(1528年(あるいは1489年/1492年) - 1619年)。バリード・シャーヒー朝(Barid Shahi Dynasty)とも呼ばれる。首都はビーダル。 ==歴史== バフマニー朝の末期、1481年に宰相マフムード・ガーワーンが暗殺され、内部抗争で王国が衰退すると、1480年代後半より地方長官である太守がバフマニー朝から独立の動きを見せ、1489年にベラール王国、アフマドナガル王国、ビジャープル王国がそれぞれ独立した。 1489年、バフマニー朝の宰相に王朝の内訌を制したトルコ系カーシム・バリードが就任し、全権を掌握したのち〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.123〕、1492年には王国の政権とは別に独自の政権をビーダルに樹立した。 1504年のカーシム・バリードの死後、息子のアミール・バリードが宰相位を世襲し、父がビーダルに築いた独自の政権も継承した。 そして、1527年にバフマニー朝最後の王カリームッラー・シャーが死に王統が途絶え、バフマニー朝が事実上滅亡した。翌1528年、宰相アミール・バリードはアミール・バリード・シャー1世を名乗り、バフマニー朝を廃してバリード家を新たな王統とし、バフマニー朝末期の領土を継承したビーダル王国(バリード・シャーヒー朝)を創始した。 第2代アリー・バリード・シャー1世の治世、1540年頃からヴィジャヤナガル王国のムスリム5王国の離間政策もありそれらと争った。だが、のちにビジャープル王国を中心とした5王国の連合に加わり、1565年にターリコータの戦いでヴィジャヤナガル王国を破り、その首都ヴィジャヤナガルを蹂躙した。 1587年、アリー・バリード・シャー1世の死後、イブラーヒーム・バリード・シャーが後を継いだが、ビーダル王国は王族間の内紛で衰退した。また、ビーダル王国はビジャープル王国、ゴールコンダ王国、アフマドナガル王国にはさまれており、その情勢は安定しなかった。 そして、1619年ビーダル王国はビージャープル王国に滅ぼされ、その領土は併合さた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.123〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビーダル王国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|