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ビハール号事件(ビハールごうじけん)とは、1944年3月に、スマトラ島東方の公海上で、日本海軍の重巡洋艦利根が、捕虜として収容していたイギリス商船ビハール(Behar)号の乗員・乗客約65人を殺害し、死体を海に投棄した事件。ビーハー号事件、利根事件とも呼ばれる。1947年にBC級戦犯裁判(イギリス軍香港裁判)で裁かれた。〔東京裁判ハンドブック(1989) 115頁、岩川(1995) 238-240頁、井上ほか(2010) 387-388頁。〕 == 背景 == 1944年2月上旬、海軍南西方面艦隊司令部(司令長官・高須四郎中将)は、インド洋上における敵の交通破壊、敵商船の捕獲を目的とする「インド洋作戦」("サ"号作戦)を計画し、第16戦隊(司令官・左近允尚正少将)に実行を命令していた。第7戦隊所属の重巡洋艦「利根」(艦長・黛治夫大佐)は、「インド洋作戦」実行のため、僚船「筑摩」とともに臨時に第16戦隊に配属された。〔岩川(1995) 238頁〕 == 事件 == 1944年3月1日、「利根」は、旗艦「青葉」とともにジャワ島のバタビア港を出発。同月9日午前11時頃、インド洋のココス島南西海域で英国商船ビハール号を発見した。利根はビハール号を拿捕しようとしたが、ビハール号が停船指示に応じなかったため、撃沈し、女性・子供を含む生存者の乗客・乗員約80名を収容した。〔岩川(1995) 238頁。〕 「利根」の報告を受けた第16戦隊の左近允司令官は、「捕虜を所定のとおりに速やかに処分せよ」との信号命令を発したとされる。しかし「利根」の黛艦長は、尋問中であることを理由に捕虜を収容したまま6日後の同月15日にバタビアに帰港し、捕虜のうち女性およびインド人を含む15人を上陸させた。〔岩川(1995) 238頁〕 同月18日、バタビアで「利根」は、第16戦隊指揮下を脱して第7戦隊に復帰するよう命じられ、シンガポールに向かうため、残る捕虜65名を艦内に抑留し続けたまま、出航した。スマトラ島寄りのリンガ湾上まで来たところの公海上で、黛艦長は、捕虜全員の殺害を命じ、深夜に捕虜一人ひとりを船艙から甲板上に呼び出して殺害し、死体を海中に投棄した。〔東京裁判ハンドブック(1989) 115頁、岩川(1995) 239頁。〕
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