|
ピアッジオ(, ピアジオ・ピアッジョとも)は、イタリアのポンテデーラに所在するオートバイおよび自動車のメーカーである。オートバイのブランドを7つ保有しており、オートバイ産業ではヨーロッパで最大手、世界第4位のメーカーである。 == 社史 == 1884年、創業者リナールド・ピアッジオにより船舶用パーツメーカーとして設立された。鉄道車両から航空機など事業を拡大し、戦時には航空機やそのエンジンを多数製造した。戦後の1946年にスクーターの代名詞とも言えるベスパの生産を開始した。現在もベスパブランドを生産し、その他ピアッジオブランドのスクーターやモペット、マイクロカーを生産している。 1964年にフィアットのオーナーであるアニェッリ家へ買収され、ピアッジオはフィアットの傘下へ入った。同年、ピアッジオはオートバイ部門と航空部門を分社化され、航空部門はIAM リナルド・ピアジオとして独立した。その後、IAM リナルド・ピアジオはフェラーリのピエロ・ラルディ・フェラーリに買収され、ピアジオ・エアロ(Piaggio Aero)としてイタリア資本へと戻った。 引き続きオートバイの製造を行っていたピアッジオは1969年にジレラを買収した。 1992年から2002年までダイハツ工業と提携し、軽貨物車のハイゼットをピアッジオ・ポーターの名称でライセンス生産した。 1999年に中国で合弁事業をはじめたが、失敗した。イタリアでも1500万ユーロ(1940万ドル)を投資して新型のオートバイを開発を開始したが、プロトタイプの製造後、中止された。2002年には1億2900万ユーロの損失を出したことにより、巨額の債務を抱えた。しかし、敵対的買収でテレコム・イタリアを傘下に収め、不動産会社IMMSIを通して経営権の獲得に乗り出したロベルト・コラニーノが2003年に会長に就任した。コラニーノはリストラを行わないまま、あらゆるスクーターを製造できるよう日本式に倣った工場の組立てラインへと一新し、利益率と顧客満足度の基準に基づいたボーナス支給など同社の改革を実施した〔Meichtry, Stacy. "伊ピアジオ、主力「ベスパ」で中国、インドに進出 "。ウォール・ストリート・ジャーナル日本版。2010年7月26日。 2010-11-25 閲覧。〕。2006年にミラノ証券取引所へ再び上場した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピアッジオ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Piaggio 」があります。 スポンサード リンク
|