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ピエトロ・ジェルミ(Pietro Germi, 1914年9月14日 - 1974年12月5日)はイタリアの映画監督、脚本家、俳優。 == 略歴 == リグーリア州ジェノヴァに生まれる。新聞売り、メッセンジャーなど職を転々としたのち海員学校に入るが、やがて俳優を志してローマの映画実験センターに入所。演劇科で3年間学んだのち監督科に転籍する。ちょい役の俳優や助監督、脚本家として下積み生活を送り、1945年、“Il testimone”で監督デビュー。シチリア人など、イタリア社会の底辺を支える庶民を主人公に、ネオレアリズモの社会派ドラマを次々と発表する。 『越境者』で1951年のベルリン国際映画祭銀熊賞、ヴェネツィア国際映画祭セルズニック賞を受賞。また同年、『街は自衛する』でヴェネツィア国際映画祭最優秀イタリア映画賞を受賞。自ら主演も兼ねた『鉄道員』(1956年)、『刑事』(1959年)は、映画音楽のヒットとともに国際的に評価された。 その後、寓意的コメディに路線を転向し、『イタリア式離婚狂想曲』で1962年のアカデミー脚本賞、カンヌ国際映画祭コメディ賞を受賞。1966年には『蜜がいっぱい』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞し、国際的名声を確かなものにした。 俳優としても活躍し、自らの監督作のほか、マリオ・ソルダーティ監督の“Fuga in Francia”、ダミアーノ・ダミアーニ監督の『くち紅』、マウロ・ボロニーニ監督の『ビアンカ』などに主要な役柄で出演している。また、駆け出しの女優であったステファニア・サンドレッリを演技派スターに育てたのもジェルミの功績である。 1974年、肝炎のために死去。60歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピエトロ・ジェルミ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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