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ピエロー・ジュニア : ミニ英和和英辞書
ピエロー・ジュニア[じゅにあ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジュニア : [じゅにあ]
 【名詞】 1. junior 2. (n) junior

ピエロー・ジュニア : ウィキペディア日本語版
ピエロー・ジュニア[じゅにあ]

ピエロー・ジュニア(''Pierroth Jr.''、本名:ノルベルト・サルガド・サルセド(Norberto Salgado Salcedo)、1958年3月10日 - )は、メキシコプロレスラー(元覆面レスラー)。モレロス州クエルナバカ出身。
== 来歴 ==
1984年7月1日に地元からデビュー。
EMLL(現在のCMLL)を主戦場にし1988年4月4日にはエル・ハルコン78を破りメキシコナショナルライトヘビー級王座を奪取、一度防衛に失敗したが1990年1月12日に再びモグールを破り同ベルトを奪取。
1990年5月26日にベスティア・サルバヘと組んでアンヘル・アステカアトランティスを破りメキシコナショナルタッグ王座を奪取。
1991年9月にCMLLで行われたCMLL世界ライトヘビー級王座決定トーナメントで決勝でジェリー・エストラーダに破れ初代王者にはなれなかったが、1992年3月19日に再挑戦し奪取。
3日後の3月22日にはマサクレハケ・マテの「ロス・イントカブレス」と組んでエル・サタニコピラタ・モルガンMS1の「ロス・インフェルナレス」を破りCMLL世界トリオ王座を奪取、10月にはWARに日本初来日、1993年1月、1994年1月にも来日した。
1995年2月21日にはCMLLにてラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアを破りメキシコナショナルヘビー級王座を奪取。1996年8月9日にはビジャノ3号ビジャノ4号ビジャノ5号の「ロス・ビジャノス」と組んでメキシコナショナルアトミコス王座奪取。
1996年にはAAAに移籍、7月にはWWF(現在のWWE)に出場、1997年1月にもWWFに出場し、ロイヤルランブルに参戦した。
1998年7月20日には抗争中だったラ・パルカコントラ・マッチで破れ素顔を晒す。
1999年1月にはWCWに出場。
その後CMLLに戻ったが、すぐにインディを転戦した。2008年以降、試合に出場しておらず現在はリタイヤ状態と思われる。
近年、「ピエロー」を冠したレスラーが多数現れる。一部はラ・ファミリア・ピエロー(La Familia Pierroth)としてチームで活動している。メンバーにエル・イ・ホ・デル・ピエロー(2007年5月に全日本プロレスに来日したYAMADA)、ピエロー2号(IWRGで活躍するアンチクリスト)、ピエロー・ジュニア(AAAやIWRGで活躍するXフライ)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピエロー・ジュニア」の詳細全文を読む




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