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ピエール1世・ド・クルトネー : ミニ英和和英辞書
ピエール1世・ド・クルトネー[ぴえーる1せいどくるとねー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ピエール1世・ド・クルトネー : ウィキペディア日本語版
ピエール1世・ド・クルトネー[ぴえーる1せいどくるとねー]

ピエール・ド・フランスPierre de FranceGénéalogie de Pierre I de France sur le site Medieval Lands.〕)またはピエール1世・ド・クルトネー (Pierre Ier de Courtenay、1126年頃 - 1180年3月10日から1183年4月10日の間)は、フランス王子。クルトネー、モンタルジ、シャトー=ルナール、シャンピニェル、タンレー、シャルニー、シャンテコックの領主。ルイ肥満王と王妃アデル・ド・サヴォワの六男で、クルトネー家の初代である。
1147年、彼は兄ルイ7世ロベールに同行して第2回十字軍に参加した。彼はラタキヤダマスカスの包囲戦を含めた全ての戦いに参加している。十字軍の騎士の中には、未来の妻の父、ルノー・ド・クルトネーもいた。
ピエールの兄アンリとロベールはルイ7世の権威に反抗したが、ピエール自身は1149年から1150年まで忠実に王に従った。
ピエールは1179年に、シャンパーニュ伯アンリ1世、甥であるボーヴェ司教フィリップ・ド・ドルーとともに再び十字軍に参加し、聖地へ向かっている〔Reto R. Bezzola, ''Les Origines et la formation de la littérature courtoise en occident (500-1200)'', volume 3, H. Champion, 1966, 374〕。ピエールの没年は1180年から1183年の間とされている。
==子女==
1150年より以前、クルトネー領主ルノーの娘エリザベートと結婚、以下の子女をもうけた〔Dynastie de Courtenay .〕。
*ピエール(1155年-1219年) - ラテン皇帝ボードゥアン1世の妹ヨランドと結婚、ラテン皇帝(在位:1216年 - 1217年)。
*娘(1156/58年 - ?)
*アリス(1160年-1218年) - ギヨーム・ド・ジョワニーと結婚。その後エマール・ド・タイユフェルと再婚。
*ウスタシー(1162年 - 1235年) - ギヨーム・ド・ブリエンヌと結婚。アカイア公ギヨーム1世と再婚。ギヨーム1世・ド・サンセールと再再婚。
*クレマンス
*ロベール(1168年-1239年)〔Descendence de Robert Ier de Courtenay 〕 - シャンピニェル領主、孫アミシーはアルトワ伯ロベール2世と結婚した。
*フィリップ
*イザベル
*コンスタンス
*ギヨーム(1172年-1233/48年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピエール1世・ド・クルトネー」の詳細全文を読む




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