翻訳と辞書
Words near each other
・ ピエーズ
・ ピエール
・ ピエール1世
・ ピエール1世 (ブルターニュ公)
・ ピエール1世 (ブルボン公)
・ ピエール1世・ド・クルトネー
・ ピエール1世・ド・リュクサンブール (サン=ポル伯)
・ ピエール2世
・ ピエール2世 (ブルターニュ公)
・ ピエール2世 (ブルボン公)
ピエール2世・ド・クルトネー
・ ピエール2世・ド・リュクサンブール (サン=ポル伯)
・ ピエールとジル
・ ピエールエルメ
・ ピエールパオロ・ビアンチ
・ ピエールフィット・シュル・セーヌ
・ ピエールフィット=シュル=セーヌ
・ ピエールフォン城
・ ピエールフランチェスコ・キリ
・ ピエールマルコリーニ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ピエール2世・ド・クルトネー : ミニ英和和英辞書
ピエール2世・ド・クルトネー[ぴえーる2せいどくるとねー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ピエール2世・ド・クルトネー : ウィキペディア日本語版
ピエール2世・ド・クルトネー[ぴえーる2せいどくるとねー]

ピエール2世・ド・クルトネー (Pierre II de Courtenay、1155年 - 1219年)は、ラテン帝国皇帝(在位:1216年 - 1217年)、ナミュール伯。フランス王子ピエール1世・ド・クルトネーの息子。ラテン皇帝ボードゥアン1世の妹ヨランドと結婚した。
1216年に妻の弟のラテン皇帝アンリが嗣子なく死去し、ピエールが次期皇帝に選ばれ即位した。翌1217年、コンスタンティノープルに赴く途中、アルバニアエピロス専制公テオドロス1世コムネノス・ドゥーカスに捕えられ、2年間幽閉された後、死去した。ピエールの幽閉中は、妻ヨランドが摂政を務め、ピエールの死後、息子ロベールが皇帝位を継承した。
==子女==
最初、ヌヴェール女伯アニェスと結婚した。
* マティルド(1188年頃 - 1257年) - ヌヴェール女伯
二度目に、エノー伯ボードゥアン5世の娘でラテン皇帝ボードゥアン1世の妹のヨランドと結婚した。
* マルグリット(1194年頃 - 1270年) - ナミュール女侯
* フィリップ(1195年 - 1226年) - ナミュール侯
* エリザベス(1199年頃 - 1269年以降) - バル=シュル=セーヌ伯ゴーシェと結婚、モンタギュー卿ウード・ド・ブルゴーニュと結婚
* ヨランド(1200年 - 1233年) - 1215年にハンガリー王アンドラーシュ2世と結婚
* ロベール(1201年 - 1228年) - ラテン皇帝(在位:1221年 - 1228年)
* アニェス(1202年 - 1247年以降) - アカイア公ジョフロワ2世・ド・ヴィルアルドゥアンと結婚
* マリー(1204年 - 1222年) - 1219年にニカイア皇帝テオドロス1世ラスカリスと結婚
* アンリ(1206年 - 1229年) - ナミュール侯
* アリエノール(1208年 - 1230年) - カストル伯フィリップ1世・ド・モンフォールと結婚
* コンスタンス(1210年 - ?) - 修道女
* ボードゥアン2世(1217年 - 1273年) - ラテン皇帝(在位:1228年 - 1261年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピエール2世・ド・クルトネー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.