|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ピエール・カルダン(Pierre Cardin、1922年7月2日 - )は、フランスのファッションデザイナー。イタリア・ヴェネト州サン・ビアージョ・ディ・カッラルタ生まれ。前衛的なスタイルでオートクチュールのブランドを立ち上げ、1960年代〜1970年代に一世を風靡した。 == 人物・来歴 == 1945年、パリに移り建築家を目指したが、ジャンヌ・パキャンのブティックでいろいろな人脈が出来、ファッションの道へ進む。クリスチャン・ディオールの独立時立ち上げに参加。1950年より自らのアトリエを開始し、1953年にはオート・クチュールも始めた。カルダンはアバンギャルドなスタイルで、宇宙時代的(コスモ・コール)なデザインで有名となる。幾何学模様や形を好み、女性的な形状を無視することも多かった。ユニセックスなスタイルにもすすみ、実験的であり、実用的ではないものも多かった。1954年には、「バブル・ドレス」を発表した。日本に注目した初めてのオートクチュールのファッション・デザイナーであり、1959年には日本をオートクチュールの有望市場として訪れている。その後、日本人ファッションモデルの松本弘子を起用したことも有名である。 1959年には百貨店プランタン向けにプレタポルテのコレクションを発表し、新しい時代の流れをつくった。1971年には自らの作品を発表する場として、パリに「エスパス・カルダン(Espace Pierre Cardin)」を開き、その他の芸術の発表の場にも使用した。 女優のジャンヌ・モローと同棲していたことがあり、彼女の主演映画『エヴァの匂い』(1962年)の衣裳を手掛けている。 また、1975年から1976年にかけて放映されたTBSドラマ『赤い疑惑』(主演:山口百恵、三浦友和、岸惠子)の衣裳も全面協力している。 「ピエール・カルダン」はオートクチュール及びプレタポルテの世界的ブランドとして人気を博し、世界各国で事業活動を行っている。日本では、1966年に高島屋、京王百貨店と紳士服部門で業務提携を始め、1972年に武田正彦が日本代理店「ピエール・カルダン・ジャパン」(PCJ)を設立し、カルダンブランドを広く日本に定着させた〔『現代日本人名録2002』日外アソシエーツ 322頁〕〔中日新聞:創業家が遺産25億円隠し 解散のピエール・カルダン代理店 〕。1997年からは、三井物産が経営の中核を運営する「ピエール・カルダン・ジャパン株式会社」が当該ブランドのライセンス事業を行っている。 1981年はレストラン「マキシム(Maxim's)」のオーナーとなり、ロンドン、ニューヨーク、北京に支店を開業した。 1991年よりユネスコ親善大使として、チェルノブイリ被害者救済とその他の人道的プログラムにも尽力している。各国より数々の勲章等を受勲。日本では勲二等瑞宝章受勲。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピエール・カルダン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|