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ピエール・ダイリー : ミニ英和和英辞書
ピエール・ダイリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ピエール・ダイリー ( リダイレクト:ピエール・ダイイ ) : ウィキペディア日本語版
ピエール・ダイイ[ちょうおん]

ピエール・ダイイ(Pierre d’Ailly)またはペトルス・デ・アリアコ(Petrus de Alliaco, 1351年 - 1420年8月9日)は、中世フランスにおいて非常に影響力のあった神学者コンスタンツ公会議でも重要な役割を果たした他、多方面にわたる膨大な著作を残した。
== 生涯 ==
ダイイはコンピエーニュの繁盛していた肉屋の子として生まれた。1364年頃からパリコレージュ・ド・ナヴァルで学び、1381年に神学のmaîtreとなり、1384年には同コレージュの講師となった。彼は1389年には国王シャルル6世付きの礼拝堂牧師となり、同年にパリ大学総長に任命された。彼が教え子の中で特に目をかけていたのは、ジャン・ジェルソンである。ジェルソンは後年ダイイの友となり、パリ大学総長の座を引き継ぐことにもなる。
当時は教会大分裂期であった。ダイイはその中でアヴィニョン対立教皇ベネディクトゥス13世に受け入れられ、ル・ピュイ司祭(1395年)やカンブレー司祭(1397年)に任命された。ダイイはブルゴーニュ派とアルマニャックの争い(百年戦争を参照)に干渉したため、前者から敵視されることになり、1418年に彼らが(蹂躙を加えつつ)首府を占拠した際には、そこへの立ち入りを禁じられることになる。
ダイイは1411年に、ピサの対立教皇ヨハネス23世によって枢機卿に任命され、1413年にはドイツ教皇特使に任命された。しかし、彼はコンスタンツ公会議ではその庇護を放棄する形で、教会大分裂終息のために、新教皇マルティヌス5世の擁立に関する主導的な役割を果たした。この公会議では、彼は、教会のみならず社会的にも脅威と判断したヤン・フスの有罪宣告にも尽力した。
ダイイはマルティヌス5世によって、教皇特使としてアヴィニョンに派遣され(1418年)、その地で1420年に没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピエール・ダイイ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pierre d'Ailly 」があります。




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