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ピエール・ラフルール(Pierre Lafleur、1939年2月13日 - )は、カナダの元プロレスラー。ケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人。 ザリノフ・ルブーフ(Zarinoff Lebeouf)などのリングネームを用い、ヒールのラフ&パワーファイターとして活動。1970年代後半のWWWFにおけるタッグチーム、ユーコン・ランバージャックス(The Yukon Lumberjacks)での活躍で知られる。 == 来歴 == マッドドッグ・バションにスカウトされ、地元のモントリオール地区にてザリノフ・ルブーフ(''Zarinoff Lebeouf'')のリングネームでデビュー。1972年9月にはバションのブッキングにより、国際プロレスにバッファロー・ザリノフ(''Buffalo Zarinoff'')の変名で来日。同時参加したビル・ロビンソンやバディ・オースチン、ビル・ドロモらのパートナーに起用され、ストロング小林やグレート草津とも対戦した。 以後、バンクーバーやポートランドなど太平洋岸北西部での活動を経て、1975年にインディアナポリスのWWAに参戦し、サージェント・ジャック・グレイとのフランス外人部隊ギミックのタッグチーム、ザ・リージョネアーズ(''The Legionnaires'')で活躍。ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーの極道コンビとWWA世界タッグ王座を争った。 その後はザ・ラシアン・ストンパー(''The Russian Stomper'')をリングネームに、テネシーのNWAミッドアメリカやノースカロライナのジム・クロケット・プロモーションズなど、NWAの中南部地区を転戦。テネシーでは1977年1月1日、トミー・リッチを破ってNWAミッドアメリカ・ヘビー級王座を獲得。ノースカロライナでは同年8月16日、リッキー・スティムボートが保持していたNWAミッドアトランティックTV王座に挑戦した。 1978年、ランバージャック・スタイルとなってWWWFに登場。スコット・アーウィンをパートナーに、アーウィンは「エリック」、自身は本名の「ピエール」を名乗り、ユーコン・ランバージャックス(''The Yukon Lumberjacks'')を結成する。マネージャーにはキャプテン・ルー・アルバーノを迎え、6月26日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてドミニク・デヌーチ&ディノ・ブラボーからWWWF世界タッグ王座を奪取、11月21日にトニー・ガレア&ラリー・ズビスコに敗れるまで戴冠した。マディソン・スクエア・ガーデンでは、1979年1月22日の定期戦でダスティ・ローデスとも対戦している。 WWWF離脱後はロシア人ギミックのイゴール・ボルコフ(''Igor Volkoff'')に変身し、古巣のWWAにて活動。1979年4月1日にはロジャー・カービーと組んでウイルバー・スナイダー&ペッパー・ゴメスを破り、WWA世界タッグ王座に返り咲いた〔(同時期、カナダのバンクーバー地区でもイゴール・ボルコフと名乗る選手が活動していたが、これはラフルールではなくダニー・バビッチの変名である)。 その後はモントリオールに戻り、キャリア末期の1980年代前半は、ジノ・ブリットらが主宰していたインターナショナル・レスリングにザリノフ・ルブーフとして出場。セーラー・ホワイトやジル・ポワソンと共闘し、ディノ・ブラボー、リック・マーテル、エドワード・カーペンティア、アンドレ・ザ・ジャイアントらと対戦した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピエール・ラフルール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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