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ピエール・ロスタン(Pierre Rostaing〔偽名の綴りは « Rostand »。〕, 1909年1月8日 - 1996年12月11日)は、第二次世界大戦期のフランスの軍人、ナチス・ドイツ武装親衛隊フランス人義勇兵。 当初は1940年のフランスの戦いでドイツ軍と交戦したフランス軍人であったが、1943年、ドイツ陸軍フランス人義勇兵部隊「反共フランス義勇軍団」(LVF / ドイツ陸軍第638歩兵連隊)へ入隊し、1944年9月に武装親衛隊へ移籍。後に第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」(33. Waffen-Grenadier-Division der SS „Charlemagne”)の一員となり、第58SS所属武装擲弾兵連隊第II大隊の当直として1945年2月下旬〜3月のポメラニア戦線に従軍した。 独ソ戦の最終局面である1945年4月末、「シャルルマーニュ」師団の生存者の中で戦闘継続を希望した約300名の将兵の1人となり、フランスSS突撃大隊(Französische SS-Sturmbataillon)第3中隊長としてベルリン市街戦で奮戦し、4月29日付で一級鉄十字章を受章。その後も戦闘を継続したが、ベルリン陥落後の5月2日夜にポツダム広場付近でソビエト赤軍の捕虜となった。最終階級はSS所属武装上級曹長(Waffen-Hauptscharführer der SS)〔Grégory Bouysse "Waffen-SS Français volume 2"(lulu, 2011)、"Aspirants, sous-officiers et soldats issus de la LVF : Sous-officiers : Pierre ROSTAING"〕〔「SS所属武装 *」(Waffen- * der SS)の名称を義勇兵の氏名と併記する場合は、「SS所属」(der SS)の部分が省略される。 例: ピエール・ロスタン武装上級曹長(''W-Hscha.'' Pierre Rostaing)〕。 == 1940年6月 フランス敗戦までの経歴 == 1909年1月8日、ピエール・ロスタンはフランス共和国ローヌ=アルプ地域圏イゼール県ガヴェ(Gavet)に生まれた〔〔Robert Forbes "FOR EUROPE: The French Volunteers of the Waffen-SS"(Helion & Co., 2006) p391〕。 1927年、ロスタンは18歳の時にフランス陸軍に入隊した。入隊後はフランス領インドシナ、フランス領北アフリカのモロッコ、アルジェリア、チュニジアなどのフランス海外植民地で勤務し、1939年9月1日に第二次世界大戦が勃発した時には12年間の兵役を完了していた。 その後、ロスタンはフランス陸軍第2部(2e bureau de l'Armée)(情報機関)から技術スタッフとしてフィンランド軍へ派遣され、次いで勃発したフィンランドとソビエト連邦の冬戦争に参加した。 フランス帰国後の1940年5月、フランスの戦いでロスタンは祖国に侵入したドイツ軍に対して果敢に立ち向かった〔〔が、その甲斐も無く1940年6月にフランスはナチス・ドイツに敗北した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピエール・ロスタン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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