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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 瀧 : [たき] (oK) (n) waterfall
ピエール瀧(ピエールたき、本名:瀧 正則〈たき まさのり〉、1967年4月8日 - )は、静岡県静岡市葵区出身のミュージシャン、マルチタレント、俳優。テクノバンド「電気グルーヴ」のメンバー。身長179cm。血液型はAB型。愛称は「瀧」・「顔」〔俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ ISBN 4796603468〕。真人間な仕事の時は「ピエールさん」と呼ばれることも多い。 == 略歴 == 高校時代までは野球部の活動に日々打ち込む少年であった。甲子園に憧れたが敵わず、高校3年だった1985年、入団テスト会場が甲子園という理由で阪神タイガースの入団テストを受けたこともある。ある日、友人の友人として知り合った石野卓球の部屋に往訪したとき石野から「お前が好きそうな曲があるから」と紹介され、再生演奏を聴いたニュー・オーダーの「ブルー・マンデー (ニュー・オーダーの曲)」に衝撃を受け、そのまま直立不動の状態で最後まで聴き入ってしまったという逸話が残っている。これは以降の瀧の人生を大きく変える出来事だった。その後、石野が結成するバンド「人生」(ナゴムレコード所属)に参加し、主要メンバーとして(楽器は弾かないが)活躍することとなる。 その後、人生の後身である電気グルーヴに参加し、電気グルーヴや石野卓球のプロモーションビデオのディレクションも手がけている。 「人生」在籍当時は、実家が畳屋であることにちなんで「畳三郎」〔INLIFE│男の履歴書 ピエール瀧 〕と名乗っていたが、電気グルーヴへの参加と同時に「ピエール畳」に改名し、さらに現在のピエール瀧へと変化。当時アメリカ人風の芸名が流行っていたのでフランス人風のピエールにしたとのこと。 現在の芸名に改名したきっかけは、レベッカのNOKKOとSHAKEが1990年に結婚した際(1993年に離婚)のスポーツ新聞の記事の見出しが「NOKKO・SHAKE 結婚」という、一見すると一体何なのかわからないものだったことから、自分の「畳」という名前にも疑問を抱いたため〔『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(ニッポン放送・1991年 - 1994年)の発言より〕。その後は「ポンチョ瀧」に改名すると宣言したり(実際には改名せず)、2007年11月に月末までの期限つきで「ピエルー瀧」に改名するとラジオで発言したりと度々自身の芸名で遊んでいる。 「人生」在籍当時より「楽器の弾けないミュージシャン」を公言しており、ステージにおいてかつては殿様やドラえもんの衣装で登場したり、最近のライヴステージでは着ぐるみを着て踊っているだけだったりする。筋肉少女帯、ばちかぶりなどナゴムレコード所属バンドはステージ上でいきなりお好み焼きを焼き客に振舞う、ライヴ中に出前を頼み配達人をステージに引っ張り上げる、炊き上がった炊飯器の中に脱糞するといったパフォーマンスを行う者がいたが、瀧はメジャーデビュー後もライヴの最中に綿菓子を作ったり、手作りピザを回したり、ろくろを回して陶芸作品を作ったり、生きた鶏を会場に放す(そして捕まえる)などの行為を唯一おこなっていた。このように、バンドのメンバーでありながら、そのパフォーマンスは一般的なミュージシャンの域を良くも悪くも越えている。 なお公式プロフィール上の彼の担当パートは「TAKI」と表記されている。この表記はハッピー・マンデーズのベズが担当パートを「ベズ」としたことと一致している。 しかし、実際のところは、彼の存在が無ければ電気グルーヴは成立しないとよく言われるように、作詞の多くを石野とともに手がける、映像表現に関与するなど、コンセプトの面ばかりでなく音楽面においても非常に重要なポジションを担っている。サンプラー、シンセサイザーも所持しており、楽曲制作の実績も当然ある。実際、インスト物に傾倒していた1993年頃はライブでもROLAND VP-330が瀧の前にセットされ、演奏を行っている。また、ターンテーブルの購入は石野よりも早く(なぜか一台だけ)、かつてはDJ活動も行っていたという。テレビでも共演機会の多いPUFFYの楽曲にも詞を提供している。 専門の会社に勤めていた事もあってか、映像に関する造詣が深く、電気グルーヴの活動の映像に関してのイニシアティブは基本的に瀧が取っている場合が多い。石野卓球のソロシングルのPV監督を務めた事もある。祖父は画家だが、瀧本人に絵心は全くないとのこと。(過去に『月刊漫画ガロ』〈青林堂〉にて漫画を発表していたこともある。) 電気グルーヴ以外の音楽活動としては「ピエール瀧とベートーベン」(電気グルーヴ脱退後の砂原良徳も在籍)としてライヴやDVD発売などを行っている。また旧知の仲である田中秀幸とのユニット「プリンストンガ」としてもVJ活動を行っている。ナゴム時代はのちに「ボヨヨンロック」のヒットで知られる大槻ケンヂのユニット「まんが道」のステージに一時的に参加した事もあった。また1991年に瀧勝(たき まさる)の名義で演歌「人生」をリリース。瀧勝のプロデューサーは「犬」で、彼を引きつれ様々なプロモーションを行い、ABC『おはよう朝日です』にも出演した。しかし、「人生」は売れず、瀧勝は当初の予定通り「犬に噛み殺されて死亡した」という事になった。ピエール瀧名義のソロ作品としては、自身が製作したビデオ作品『メカノ』のテーマ曲を作曲している。2001年にはTBS系「学校へ行こう!」の企画でGOタリモ&ミニカレー『恋の400Mカレー』をプロデュースした。 近年では音楽活動以外にタレント、俳優、声優、ナレーターとしてテレビ番組(ドラマ、バラエティからNHK語学番組の生徒役まで)・CM・映画・ゲーム(『SIREN2』等)などへ出演して一般にも知名度を上げ、外出時にはレイバンのサングラスが欠かせない。石野からは「男YOU」「ポストなぎら健壱」「ネオなぎら」とも評される。本家なぎらとはタウンページの広告にて兄弟役で共演している。 2000年代以降は特に俳優として邦画への起用の機会が目立ち、年間に約3本ほど出演作が続く。87歳老教諭、中年サラリーマン役、妹思いの兄役、やさしいお父さん役、頑固な職人役、冷徹な軍人役など、幅広い役柄をこなす。ベルギーの人形アニメ『パニック・イン・ザ・ヴィレッジ』の日本語吹き替えを担当した際は、一人で45役を演じた。また、ある映画でハリウッド進出を果たすものの、出演シーンが丸々カットされるという憂き目に遇っている。『凶悪』と『くじけないで』の演技で第38回報知映画賞助演男優賞を受賞し、『そして父になる』と合わせての3作品では第56回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞〔第56回ブルーリボン賞 作品賞は「横道世之介」 (2014年1月23日)、スポニチアネックス、2014年1月23日閲覧。〕するなど、2013年は演技での高評価が相次いだ。 その他にもPlayStation用ゲームソフト『グルーヴ地獄V』、PlayStation Portable用ゲームソフト『バイトヘル2000』のプロデュース、漫画『虐殺! ハートフルカンパニー』『樹海少年ZOO1』原作(漫$画太郎作画)、中目黒におでん屋をオープンするなど、その活動の場は実に多岐に渡っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピエール瀧」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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