翻訳と辞書
Words near each other
・ ピエール=ポール・プリュードン
・ ピエール=マリー=アレクシス・ミラルデ
・ ピエール=ミシェル・ラソッガ
・ ピエール=ミシェル・ル・コント
・ ピエール=ユーグ・エルベール
・ ピエール=ルイ・モロー・ド・モペルテュイ
・ ピエール=ルイ・リオン
・ ピエール=ルー・ブーケ
・ ピエール=ローラン・エマール
・ ピエーロ・カップッチッリ
ピエーロ・デッラ・フランチェスカ
・ ピエーロ・ファッシノ
・ ピエーロ・ファッシーノ
・ ピエーロ・フェラーリ
・ ピエーロ・ラルディ・フェラーリ
・ ピエーヴェ・アルビニョーラ
・ ピエーヴェ・ア・ニエーヴォレ
・ ピエーヴェ・エマヌエーレ
・ ピエーヴェ・サント・ステーファノ
・ ピエーヴェ・サン・ジャコモ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ピエーロ・デッラ・フランチェスカ : ミニ英和和英辞書
ピエーロ・デッラ・フランチェスカ[らん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ピエーロ・デッラ・フランチェスカ ( リダイレクト:ピエロ・デラ・フランチェスカ ) : ウィキペディア日本語版
ピエロ・デラ・フランチェスカ[らん]

ピエロ・デラ・フランチェスカまたはピエロ・デッラ・フランチェスカPiero della Francesca, 1412年 - 1492年10月12日)は、イタリアルネサンス期の画家ボッティチェッリなどより一世代前の、イタリア初期ルネサンスを代表する画家である。
==生涯==
イタリア中部トスカーナ州アレッツォ近郊の山間の町、ボルゴ・サンセポルクロに靴職人の子として生まれる。サンセポルクロの地方画家アントーニオ・ダンギアーリのもとで1430年代までに徒弟修業を終え、その後しばらくダンギアーリの助手ないし協力者としてサンセポルクロとその近在で仕事をした 〔『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 石鍋真澄、p.30~36(平凡社、以下略)〕 。1439年ごろフィレンツェに行き、フィレンツェ派の巨匠、ドメニコ・ヴェネツィアーノに師事、或は、その協力者として仕事をした 〔『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 石鍋真澄、p.63~64〕 。イタリア各地で制作しているが、生涯のかなりの部分を郷里とその周辺で過ごしている。
数学や幾何学に打ち込んだ最初期の画家の一人であり、美術史上最も徹底してその研究に打ち込んだ人物である〔『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 石鍋真澄、p.28〕。晩年には、『算術論』『遠近法論』『五正多面体論』の3冊の著作を残している。これらの著作は全てラテン語ではなく俗語で書かれており、高度な数学・幾何学的内容にも関わらず問題集といった性格に終始し、人文主義的関心は低く、職人的実用性によって書かれている 〔『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 石鍋真澄、p.29。また著者は、ピエロが初等教育を受けたサンセポルクロでは、フィレンツェなどとは違い、人文主義的な教育カリキュラムに関心がもたれるのは15世紀半ば以降であることを指摘し、ピエロのラテン語力も教養も限られたものだったであろうと述べている。〕 。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピエロ・デラ・フランチェスカ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Piero della Francesca 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.