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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ピカレスクコート (''Picaresque Coat'') は、日本の元競走馬である。馬名の意味は悪漢のコートである。全姉に1999年の阪神3歳牝馬ステークスを制したヤマカツスズランがいる。ディープインパクトの帯同馬としてフランスに遠征した。 == 戦績 == 2004年9月20日、デビュー戦となった阪神競馬場での2歳新馬戦(芝1600メートル)では中舘英二が騎乗し3番人気に支持され3着だった。次の2歳未勝利戦で初勝利を挙げる。 2005年、さわらび賞(500万下)に勝利しオープン馬となり、その後の重賞などを走るが勝利することなく1000万下クラスに降級となった。 2006年、太宰府特別(1000万下)に勝利し1600万下クラスに昇級するも、またしてもその後勝てず、夏には1000万下クラスに再降級となった。そして玄海特別(1000万下)で2着となった後の8月9日、第85回凱旋門賞に出走するディープインパクトの帯同馬として出国し、フランスに到着した。その後はシャンティー競馬場の隣の調教場に滞在し、おもにそこでディープインパクトとともに調整された。9月13日には凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場でも調教が行われた。凱旋門賞前日の9月30日、ロンシャン競馬場で行われたダニエルウィルデンシュタイン賞 (G2) では武豊が騎乗し、5番人気ながら2着と健闘した。帰国後初戦の初霜特別(1000万下)では1番人気に応え勝利を飾った。 2007年、1600万下クラスでの3戦目となった道頓堀ステークスで勝利しふたたびオープン馬となり、迎えた第39回ダービー卿チャレンジトロフィーでは秋山真一郎が騎乗し7番人気と低評価ながらレースを制し重賞初勝利を挙げた。しかし続く第52回京王杯スプリングカップでは2番人気に支持されるも最下位となる18着という結果に終わった。秋の初戦は富士ステークスに出走。しかし16着と大敗した。なお、香港マイルに予備登録を行っていたが回避となった。そして第24回マイルチャンピオンシップに出走したが、17番人気で17着だった。さらに続く2007ファイナルステークスでは10着に敗れた。 2008年、小倉大賞典から始動するが13着、続く中京記念では15着、ひさびさに出走したダート競走のマーチステークスで15着だった。休養後の小倉記念では11着、小倉日経オープンでは2着だった。その後は一走することなく2010年7月28日付で競走馬登録を抹消された。現在は北海道苫小牧市のノーザンホースパークで乗馬となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピカレスクコート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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