翻訳と辞書
Words near each other
・ ピピスモン
・ ピピッとコンロ
・ ピピッとサンデー Waku Waku Mix
・ ピピニーデン・サーカス隊
・ ピピノ・クエバス
・ ピピムネンミョン
・ ピピロッティ・リスト
・ ピピン
・ ピピン (イタリア王)
・ ピピン1世
ピピン2世
・ ピピン3世
・ ピピン@
・ ピピン@アットマーク
・ ピピンの寄進
・ ピピンアットマーク
・ ピピ島
・ ピフィスリン
・ ピフカ
・ ピフレ新長田


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ピピン2世 : ミニ英和和英辞書
ピピン2世[ぴぴん2せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ピピン2世 : ウィキペディア日本語版
ピピン2世[ぴぴん2せい]
ピピン2世ドイツ語Pippin der Mittlere, 635年もしくは640年 - 714年12月16日)は、フランク王国宮宰(在職:680年 - 714年)。「中ピピン」とも呼ばれる。ピピン1世(大ピピン)の娘ベッガとその夫アンゼギゼルメッス司教アルヌルフの子)の子。
680年からピピンはアウストラシアネウストリアブルグントの宮宰を兼ね、徐々にフランク族の宮廷内での権勢を増していった。メロヴィング朝フランク王テウデリク3世は彼を排除しようとしたが失敗に終わり、以後ピピンはアウストラシアの事実上の統治者となり、ほかのフランク族たちへの影響力も維持し続けた。また宮宰職の世襲化にも成功した。
670年頃、ピピンはモーゼルの地主プレクトルードと結婚し、息子のドラゴ、グリモアルト2世をもうけた。ピピンが死去した時、二人の息子はすでに死去していたが、グリモアルト2世の子テオドアルドは自らが正統な後継者であるとしてプレクトルードの援助のもと宮宰職を要求した。しかし側室アルパイダ(カルパイダ)との間に生まれた庶子のカール・マルテルは、軍事的才能と戦利品を気前よく配ったことによりアウストラシアの支持を得た。結果、プレクトルードとその子らの努力にも拘らず、カール・マルテルがアウストラシア宮宰およびフランク王国の事実上の支配者となった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピピン2世」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.