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ピュグマイオイ (Pygmaioi〈希〉) はギリシア神話中に現れる小人族。その名前は "pygmê" (肘から先の長さ=約35cm)に由来する。英語では「ピグミー」。イーリアスの記述では、ピュグマイオイは冬季になると「オケアノス」(大地を取り巻くといわれた海流)南岸に渡っていくツルと闘争を繰り広げているという。工芸品では小さなピュグマイオイがヤギの背中に乗り、槍とパチンコでツルと戦う場面が描かれている。クリミア半島パンティカパイオン付近の墓地遺跡にはアオサギの群れと戦うピュグマイオイの姿が描かれている。 ピュグマイオイの姿形はずんぐりとして滑稽な小人として描かれることが多い。 ツルとの争いには起源があるといい、とある話では美貌を誇った女神ヘーラーを怒らせてしまったピュグマイオイの女王ゲラーナ (Gerana) がその姿をツルに変えられてしまったことが発端だという。 別の伝説ではギリシア神話の英雄ヘラクレスと出会ったピュグマイオイがその就寝中のヘラクレスによじ登り、彼を縛り上げようとしたが途中で起き上がったために失敗に終わったという。このエピソードはスウィフトにインスピレーションを与え、「ガリバー旅行記」のガリバーとリリパットの住民に置き換えられたという。 後世のギリシア人地理学者や作家はピュグマイオイの国の位置関係を推定し、時には遥かインド、ある時はエチオピアと考えられた。 プリニウスの博物誌から 中央アフリカの実在のピグミー族の名はピュグマイオイに由来するが、古代ギリシア人は彼らを知らなかったであろうし、関連付けて考えることは妥当ではない。しかしながらコイサン族などの実在のピグミーに関する誤った伝聞がギリシアの伝説の元になったという可能性も否定できない。どちらもバンツー族の進出前はBC200-AD500頃アフリカの広域に分布していたと考えられている。ヘロドトスはアフリカ西岸を何ヶ月にもわたって南方へ旅行したという、ペルシアの案内人サタスペスがシュロの葉を着た小人に出会ったという話を語ってさえいる。19世紀になってヨーロッパ人がアフリカの小人に出会うまでピュグマイオイ(ピグミー)は神話でしかなかった。 == 関連項目 == * ピグミー 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピュグマイオイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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