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ピュロス(希:、羅:Pyrrhus、紀元前319年 - 紀元前272年)は、古代ギリシアのエピロス王(在位:紀元前286年 - 紀元前284年および紀元前273年 - 紀元前272年)、およびマケドニア王(在位:紀元前286年 - 紀元前284年および紀元前273年 - 紀元前272年)である。ピュッロスあるいはピュルロス、ピュロス1世とも表記される。戦術の天才として名高い。 == 誕生、そしてディアドコイ戦争 == ピュロスはエピロス王とファルサロスの将軍メノンの娘プティア (en)との間に生まれ、デイダメイア (en:マケドニア王デメトリオス1世の3番目の妃) とトロアスという姉妹がいる。父アイアキデスがディアドコイ戦争で本国を離れた際にエピロスの国民に反乱を起され、当時2歳だったピュロスはイリュリア王国へ脱出する。その後、12歳の時にイリュリア王グラキアスの支援によりエピロス王位に付くが、17歳の時にグラキアスの子の結婚式に出席するために本国を離れた時、再び反乱が起こって国を追われる。 今度は姉デイダメイアの夫であるマケドニア王子デメトリオス1世を頼り、その後イプソスの戦いに参加。ピュロスは戦で勇名を馳せるもデメトリオスの軍は大敗してしまう。そして、ピュロスはデメトリオスとプトレマイオス1世が結んだ条約によりプトレマイオスの元で人質とされた。その時に彼はプトレマイオスの継娘アンティゴネ (en)と結婚し、プトレマイオスの支援を受けてエピロス王に返り咲く。そして、当時マケドニア王であったかつての盟友デメトリオスとの戦いを開始し、およそ10年の戦いを経てデメトリオスを追い払ってマケドニア王の座に着く。しかし2年後には同盟者であったはずのトラキア王リュシマコスにマケドニアを追われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピュロス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pyrrhus of Epirus 」があります。 スポンサード リンク
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