翻訳と辞書
Words near each other
・ ピュー古代都市群
・ ピュー族
・ ピュー族の古代都市群
・ ピュー研究センター
・ ピュー研究所
・ ピュー語
・ ピユピユカッコー
・ ピユピユ・カッコー
・ ピユート
・ ピョウタンの滝
ピョコタン
・ ピョコタンのマンガレポート
・ ピョコピョコ ウルトラ
・ ピョコピョコウルトラ
・ ピョコモン
・ ピョッサスコ
・ ピョトル・シフィェルチェフスキ
・ ピョルン
・ ピョレミルスキ
・ ピョンコ節


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ピョコタン : ウィキペディア日本語版
ピョコタン

ピョコタン1977年11月18日〕- )は日本漫画家。男性。本名・横尾和慶 東京都荒川区出身。千葉県立国府台高等学校卒業。血液型はO型(RH+)。身長は173cm。フジテレビ公式ホームページのデジタルコミック『少年タケシ』に連載の「西日暮里ブルース」や『月刊コロコロコミック』や『ゲームラボ』誌上での漫画(ピョコタンのマンガレポート)やイラストで知られる。漫画に関わらずネット記事のライターや構成作家や動画配信などその仕事は多岐にわたる。
== 人物・略歴 ==

*東京都荒川区西日暮里で生まれ、その後千葉県市川市で育つ。
*1993年3月、市川市立下貝塚中学校卒業。
*1996年3月に国府台高等学校を卒業後、同年7月に『ボンバーマン4コマまんが王国3』で漫画家デビューする(本人のホームページより)。
*デビュー前には本名・横尾和慶の名義で『月刊コロコロコミック』の読者コーナーへの投稿を行っており、「スチャダラ通信」の最多掲載者(50回)でもある。この頃から現在の画風・作風が確立しつつあった。その縁もあり、老朽化で取り壊されることになった小学館ビルに落書きをする企画に参加したと、後日、ヤフー知恵袋にて、この企画に参加した理由の質問に対して回答している〔なぜ小学館の壁の落書きにピョコタンのマンガが描いてあるんですか? 〕。
*雑誌のアシスタント体験企画として施川ユウキアシスタントをしたことがある。
*「日本一まずいラーメン屋」としてテレビ等で取り上げられたラーメン彦龍の常連客であり、店主の原憲彦とはプライベートでも親交が深かった。本人が来店した時の様子は度々ピョコタンのマンガレポートにネタとして取り上げている。「アホ汁」というスープを共同開発したことがある〔赤いアホ汁参照〕。
*健康マニアであり、かつて「長命源」という長生きできる液体を毎日飲んでいた。
*カタンというボードゲームが得意であり(自称最強)、国内で行われる大会には頻繁に出場している。また、一時期はカタンの攻略を扱ったホームページを作成していた。また、カタンの他にも対人戦のゲームを好んでいるらしく(麻雀・ボンバーマン・パワフルプロ野球等)、基本的に先手を打って相手を追い詰める戦法が得意らしい。また、ポーカーの世界大会にも参加経験あり。
*以前は視力がかなり悪く両目が0.07ほどしかなかったため、コンタクトレンズを愛用していたが、2006年11月にレーシックの手術を行い視力が大幅に回復した。
*彼と交流のあるジャンクハンター吉田が語るには、XBANDで出会った頃は今の人物像とは違い、尖った人物だったと懐述している(実際に会うきっかけとなったXBANDのイベントでは、頭にパンスト・水中メガネ・くわえタバコの出で立ちであったとか)。
*SFC末期頃にデパート等で投げ売りされていた新品SFCソフトをゲームショップへ転売(正確には中古買い取りのシステムを利用)した錬金術を駆使していた事があり、2日で5万円稼いだとの本人談〔ゲームラボ2005年11月号より〕。
*基本的には漫画の中で実際の自分として登場する(画像として)場合、自分の素顔をキャラの自分の絵で隠したりするが、他雑誌の企画等では普通に素顔を出している(但し、後述するWiiリモコン騒動の際は自分の単行本で隠していた)。
*尊敬する漫画家として、長谷川町子デビュー13年間いまだに売れない漫画家・ピョコタン先生インタビュー ガジェット通信公式サイト・2009年8月3日、2014年3月31日観覧〕ややなせたかしを挙げている。
*2011年8月ごろからニコニコ生放送にて、いわゆる生放送主として個人的に活動を始め、頻繁に放送を行っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピョコタン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.