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ピダハン語(ピラハー語、ピラハン語、、)ブラジル・アマゾナス州に居住する固有の言語である。ピダハン族は、アマゾン川の支流のひとつである沿いの4つの村に住んでいる。(2014年から)300年ほど前、金を求めてやってきたポルトガル人と接したことがあるのみで、外からの影響を拒んで暮してきた。1950年代に麻疹(はしか)が流行して伝道師を受け入れることになった。 〔亀井孝 編 (1992), 『言語学大辞典』 第4巻, 三省堂, p.360 〕に属しており、現在はこの語族の唯一の言語である。ムーラ小語族の他の言語は、ポルトガル語の拡大によって、ここ数世紀の間に消滅した(近縁関係にある可能性の言語としては、現在でもが存在する)。そのため、現在では孤立した言語に分類される。使用人口は250~380人と見積もられているものの〔Nevins, Andrew, David Pesetsky and Cilene Rodrigues (2009). "Piraha Exceptionality:a Reassessment ", ''Language'', 85.2, 355–404.〕、言語の使用状況は活発で、ピダハン族のほとんどがモノリンガルであるため、危機に瀕する言語とは考えられていない。 日本では2012年にダニエル・エヴェレット『ピダハン — 「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房) が翻訳され〔原題は"DON'T SLEEP, THERE ARE SNAKES"となっていて「おやすみ」の意味だという。訳者によれば「ピダハンの人々は夜になったからといってまとまった時間熟睡してしまうわけではないらしいから、深更別れを告げるとき、油断するなよ、と警告し合うのだろう」という。〕、2014年8月16日にはNHKEテレで「地球ドラマチック」「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」が放送されて、知られるようになった。この番組によれば、文法には過去も未来もなく「将来への不安も過去の後悔もなく」現在に生きているから幸福なのだという。サピア=ウォーフの仮説に新たな視点を与える可能性といった、言語学上の論争を呼ぶような要素が様々に含まれているといった主張がマスコミを通じて語られ、大きな注目を集めている、などといった扱いがされている。一方で、ピダハン族の間で現地調査した言語学者が極めて少なく〔NHK「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」によれば、ダニエル・エヴェレットと元妻と、前任の伝道師の3人だけだという。〕、ブラジルの()が現地への立ち入りやピダハン族との接触を厳しく制限している事もあり、この言語を習得する難しさもまた論争を起こす一因となっている。 ==近年の論争== ピダハン語研究で有名な言語学者(以下、エヴェレット/元はキリスト教の伝道者だったが、ピダハンの人々が既に幸せだということに気づき、一人にも伝道できなかったことから宗教を捨て離婚して言語学者になった)は、20本以上に及ぶ論文と1冊の著書を著し、その中で、この言語の驚くべき特徴を紹介してきた。例えば次のようなものである。 *現在知られている限りでは最も少ない音素体系の言語の一つであり、それと対応して、非常に幅広い異音のバリエーションが見られる。その中には、非常に珍しい や という音もある。 *極端に限定された節構造を持ち、「太郎は結婚したと次郎は考えていると三郎は言った」といった入れ子状の再帰的な文は作れない。 *明暗以外に、色を表す抽象的な語が存在しない。ただし、これについてはポール・ケイらによって、異議が唱えられている〔Everett (2005)〕。 *人称代名詞まるまる一式が、ニェエンガトゥ語(トゥピ語を基礎とする、かつて北ブラジルでリンガ・フランカであった言語)からの借用であるらしい。昔のピダハン語に関しては全く史料がないものの、形態の類似から考えると、この仮説は確度が高い。 *ピダハン語は口笛にも鼻歌にもでき、音楽として記号化もできる。ダニエル・エヴェレットの元妻で言語学者の(以下、カレン)は、現在の言語研究は言語の韻律にはほとんど注目しないために、その意味を多く見逃していると考えている。もしかすると子音と母音はすべて省略でき、意味は音の高低やアクセントやリズムの変化によってのみで伝えられるかもしれない。カレンによれば、母親は子供に、同じ音楽的パターンを歌って言語を教えるという〔John Colapinto (2007), "The Interpreter ". ''The New Yorker'', 2007-04-16〕。 エヴェレットは、この言語に再帰(繰り返し)が無いことは、(もしそれが正しいとすれば)チョムスキー言語学の根底を崩すものとなると主張している。この説はしかし、「エヴェレット自身がピダハン語の中に再帰を認めているではないか」と、多くの言語学者から反論を受けている。これに対しエヴェレットは、表面的には再帰的であるように見えるとする当初の発言は、ピダハン語に対する知識不足による誤った解釈であったと言っている。なお、チョムスキー(NHK「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」によれば、チョムスキーはナンセンスといい、コンピューターで解析して再帰がないようだと結論している)を含め何人かの言語学者は、たとえピダハン語が再帰を欠くとしても、チョムスキーの理論には影響がないと論じている〔〔Daniel Everett (2009), "Pirahã Culture and Grammar:a Response to some criticism", ''Language'', 85.2, 405–442.〕〔Nevins, Andrew, David Pesetsky and Cilene Rodrigues (2009), "Evidence and Argumentation:a Reply to Everett (2009)", ''Language'', 85.3, 671–681.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピダハン語」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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