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ピラール・ローレンガー : ミニ英和和英辞書
ピラール・ローレンガー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ピラール・ローレンガー : ウィキペディア日本語版
ピラール・ローレンガー[ちょうおん]

ピラール・ローレンガーPilar Lorenger1928年1月16日 - 1996年6月2日)は、スペイン出身のソプラノ歌手
==来歴==
14歳で音楽を正式に学び始め、その後バルセロナ音楽院へ進み、マドリッドでソプラノ歌手のアンヘレス・オティンに、西ベルリン(当時)でディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの師でもあったメゾソプラノ歌手のヘルタ・クルストに師事した。1949年頃にサルスエラの劇場で合唱団に加わり、1950年アルジェリアオランアマデオ・ヴィヴェスのオペラ『マルクサ』で主役を演じた。1951年にはサルスエラ『いちごのバスケット(原題:El canastillo de fresas)』で主役を務め、翌1952年にはブラームスの『ドイツレクイエム』、『交響曲第9番 (ベートーヴェン)』でソリストデビューを果たす。1955年エクサンプロヴァンスに於ける『フィガロの結婚』のケルビーノを、その後コヴェントガーデンで『椿姫』のヴィオレッタを演じ、ゴイェスカスの演奏会形式による上演でアメリカデビューした。1956年から1960年まではグラインドボーン音楽祭に連続して招聘、南米でも1958年ブエノスアイレスコロン劇場トーマス・ビーチャムの指揮する『魔笛』のパミーナを演じた。1958年、ローレンガーは西ベルリン市立歌劇場と契約、1961年に同劇場がベルリン・ドイツ・オペラとして再出発した際、杮落とし公演のフェレンツ・フリッチャイ指揮『ドン・ジョバンニ』でドンナ・エルヴィラを演じ,1963年には宮廷歌手の銘を拝受している。以降西ベルリンはローレンガーの活動の中心地となり、終の住処となった。1966年から1982年の間にメトロポリタン歌劇場には150回出演、他にもザルツブルク音楽祭への出演やウィーンミラノパリロンドン等の歌劇場に出演し国際的にその名声を馳せた。
1966年1970年ベルリン・ドイツ・オペラと共に来日、魔笛のパミーナ、椿姫のヴィオレッタ、ファルスタッフのアリーチェ、ローエングリンでエルザを演じ日本でも広く知られるようになる。1987年ベルリン・ドイツ・オペラに於けるジョーン・デューの新演出マイヤベーアの歌劇『ユグノー教徒』への出演を機会にステージからは遠ざかり、1991年スペインアストゥリアス州 オヴィエドにあるカンポ・アモール劇場でのコンサートを最後に引退した。
1996年乳癌のためベルリン市内で逝去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピラール・ローレンガー」の詳細全文を読む




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