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ピーター・ダンブレック : ミニ英和和英辞書
ピーター・ダンブレック[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ピーター・ダンブレック : ウィキペディア日本語版
ピーター・ダンブレック[ちょうおん]
ピーター・ダンブレック(Peter Dumbreck 1973年10月13日 - )は、イギリス在住のスコットランド人レーシングドライバー
== プロフィール ==

*身長:178cm
*体重:72kg
*血液型:RH+A型
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1985年より母国イギリスで、カートに参戦を開始し、1993年に4輪レースにデビューする。翌1994年にはイギリス・フォーミュラ・ボグゾール・ジュニアのチャンピオンを獲得。1996年にはイギリス・フォーミュラ・ボグゾール・ロータスのシリーズタイトルを獲得すると伴に、イギリスF3でもシリーズ3位と活躍し注目を集めた。彼の才能に目を付けたTOM'Sが日本に招聘、1998年全日本F3選手権にフル参戦しシリーズチャンピオンに輝くと共に、マカオGPでも優勝するなど、彼のレースキャリアの中で最良の1年の一つとなった。なおこの年は全日本GT選手権・GT300クラスにも途中参戦している。1999年はTeam LEYJUNから全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに参戦している。
1999年はル・マン24時間レースに初出場しているが、大きなトラブルがこの時24歳で日本で言えば本厄であった彼を襲うことになった。彼が搭乗するメルセデス・ベンツ・CLRが、直線で突如離陸して宙を舞い、墜落するという事故が起きた。幸いにも、墜落した場所が林の中の空き地で、下が柔らかい土の上にタイヤを下にして落ちていったため、彼は軽傷を負ったのみで助かった。しかし直後にメルセデスは他のCLRもピットに戻し、レースを棄権した。離陸したCLRは、予選においてもマーク・ウェバーらが駆る4号車が突如バランスを失って空中を舞い、アスファルトに叩き付けられるという事故を起こしている。ドライバーはほぼ無傷で助け出されたが、このことからマシンに対する信頼性には疑問を持たれていた。なお、1955年のル・マンでもメルセデス・300SLRが観客を巻き込む大惨事を起こし、ザウバーとジョイントして復帰するまで一切のレース活動をしていなかったメルセデスだったが、この事故以来耐久及びスプリントのGTレース(DTMを除く)からは一切手を引く決断となった大事故であり、彼のレーサー人生においても象徴的な出来事となった。その後翌2000年からは、ドイツツーリングカー選手権を主戦場として戦った。
2005年シーズン途中より、それまで不振が続いていた脇阪薫一に変わって、SUPER GT・GT500クラスの イエローハットYMSスープラのステアリングを服部尚貴のパートナーとして握ることになった。2006年も同じ組み合わせで、トヨタの期待の新車SC430を操り、第3戦の富士ラウンドで見事に初優勝を飾っているが、シーズンとしては伸び悩みシリーズ9位に沈んだ。2007年2008年も同様にSUPER GTに継続参戦中である。(2007年は体調不良による欠場あり)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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