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ピーター・トムソン : ミニ英和和英辞書
ピーター・トムソン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ピーター・トムソン : ウィキペディア日本語版
ピーター・トムソン[ちょうおん]

ピーター・トムソン(Peter William Thomson AO CBE、1929年8月23日 - )は、オーストラリアプロゴルファー全英オープン選手権を5度制覇したことで知られる。
== 人物 ==
トムソンはオーストラリアブランズウィックで生まれ、13歳でゴルフを開始して、メルボルンのドライな強風と固い地面のゴルフ場で持ち球の低いドローボールに磨きをかけ、英国のリンクスでプレイする上で「特別な能力の補充は必要がなかった」という技量に到達〔角田満弘ほか『セントアンドリュース物語』第3版、70頁〕、全英オープンに21歳(1951年)から参戦開始して初戦から6位タイの成績を収め、1954年(第83回大会、ロイヤルバークデール)、1955年(第84回大会、セント・アンドルーズ)、1956年(第85回大会、ロイヤルリバプール)、1958年(第87回大会、ロイヤルリザム&セントアンズ)、および1965年(第94回大会、ロイヤルバークデール)に5度制覇した。トムソンは、全英オープンを20世紀に連続3年間勝った唯一の人物である(1883年のロバート・ファーガソン以来の3連覇)。また、1952、1953、1957年は全英オープン2位であり、1950年代の全英オープンでは生涯通算4度全英制覇のボビー・ロックを凌ぐ強さを誇った。1955年の全英オープン2勝目は、ボビー・ジョーンズが保持していた4日間通算の全英オープンコースレコードに4打優る71-68-70-72の281打での勝利であり、賞金額も大会史上初の4桁1000ポンドであった。1958年は、デーブ・トーマスとの36ホールのプレイオフを139対143の4打差で制して全英オープン4勝目。1950年代の全英オープンでの活躍は有力な米国人選手が出場しなかったからであるとの一部の批判があったが、1965年大会でジャック・ニクラスに9打差、アーノルド・パーマーに10打差、トニー・レマに4打差で全英オープン5勝目を挙げ、風評を一掃した1972年に「中日クラウンズ」で日本ツアー勝利した。1988年に彼は世界ゴルフ殿堂入りした。
8年間にセント・アンドルーズで開催された大会に3勝、2位が1回という成績で、「セント・アンドルーズのスペシャリスト」の異名を得た〔角田満弘ほか『セントアンドリュース物語』第3版、69頁〕。ヘンリー・コットンから伝授された「1番ホールが大事。1番ホールのドライバーショットは左に打って、18番ホールのフェアウェイにボールを置き、第2打はそこからグリーンをワイドに狙え」という攻略法を忠実に守ったという〔角田満弘ほか『セントアンドリュース物語』第3版、70頁〕。セント・アンドルーズの1勝目は1954年9月のブリティッシュPGAマッチプレイ選手権であり、「私のイメージしていた通りのコース。とても穏やかで快適。まるで天国にいるような心持ち」とコメント〔角田満弘ほか『セントアンドリュース物語』第3版、69頁〕。10ヶ月後のセント・アンドルーズ開催の全英オープンでは、風と高速グリーンに苦しめられ、最終日の14番ホール(パー5)で2つのバンカーに捕まり、5オン2パットの7でスコアを崩したが、15番ホールで約5mのバーディパットを決めて単独首位復帰、最終的には2位に2打差でセント・アンドルーズ2勝目を挙げ、「14番の7はミスだ。しかし、そこから弱気にならず、かつ、用心深く帰ってくることができた」とコメント〔角田満弘ほか『セントアンドリュース物語』第3版、71頁〕。1957年のセント・アンドルーズ開催の第86回全英オープンはボビー・ロックに次ぐ2位となり、「優勝者と2位との差は、メンタルな差以外なにもない」とコメント〔角田満弘ほか『セントアンドリュース物語』第3版、71頁〕。1962年、欧州ツアーのマーティニ・インターナショナルでセント・アンドルーズ3勝目を挙げた〔角田満弘ほか『セントアンドリュース物語』第3版、71頁〕。
1995年に開設されたセント・アンドルーズ唯一の非リンクスコースであるザ・デュークスコースは、トムソンの設計によるものである〔角田満弘ほか『セントアンドリュース物語』第3版、71頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピーター・トムソン」の詳細全文を読む




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