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ピーター・ライス(Peter Rice、1935年6月16日 - 1992年10月25日)は、アイルランドの構造家・構造エンジニア。1988年からRIBAの名誉会員。1992年、RIBAゴールドメダル受賞。ダンドーク生まれ。 ベルファストクイーンズ大学で教育を受け、学位を取得。その後1年ロンドン・インペリアルカレッジで過ごす。もともと専攻は航空工学で、その後建設構造工学の方面に切り替えている。オヴ・アラップ・アンド・パートナーズに入社し、最初に担当したのが、シドニー・オペラハウスの屋根である。 1956年から1992年に死去するまで、オヴ・アラップ・アンド・パートナーズのディレクターを務める。レンゾ・ピアノと、1977年から1980年にかけては、ピアノ・アンド・ライス・アンド・アソシエイツを共同主宰。1978年からは、RFR(パリ)のパートナーにもなる。また、構造家フライ・オットー、建築家リチャード・ロジャースらとも協働した。 自伝に記した、建築家とエンジニアの違い「建築家は課題に対してクリエイティブに対応するが、エンジニアは本質的に革新性に満ちた方法をとる」は、つとに有名。 1991年に脳腫瘍と診断され、翌年57歳で死去した。ジョナサン・グランシーの弔辞によれば、「おそらくライスは、工学の構造界のジェイムズ・ジョイスである。彼の詩的な発明、彼の能力と頭に受け入れに向けるのアイデアを彼の厳密な数学的、哲学的論理が作りだす、私たちの時代後最も求められたエンジニアである」 == 携わったプロジェクト == * シドニー・オペラハウス 1957年から7年間 * クルーシブル劇場、シェフィールド、1967年 * アンバーリーロード子供のホーム、ロンドン、1969年 * ナショナルスポーツセンター・クリスタルパレス、ロンドン、1970年 * ウォーリック大学・アートセンター 、コヴェントリー、1970年 * ジャーミンストリート宝石商店・パースペクスの螺旋階段、ロンドン、1970年 * ロンドン・スタンステッド空港 * スーパーグリメンツスキー村、ヴァレー、スイス、1970年 * 会議センター、 メッカ 、サウジアラビア、1971年 * ポンピドゥー・センター - ジャンフランコ・フランキーニなども協力して設計された、パリ、フランス; 1971年 * ジャンボジェットの格納庫、ヨハネスブルグ、南アフリカ、1976年 * TGVリール駅、1994年 * TGVロワシー駅; 1991年から1994年 * Elektronikfabrik、トムソンサン=カンタン=アン=イヴリーヌ県、1990年 * ロイズ・本社ビル、ロンドン * シテ科学産業博物館ガラスと鉄の構造物温室のガラスファサード エトワール パリ * デメニルコレクション ヒューストン; 1981年から1986年 * くまもとアートポリス・牛深ハイヤ橋 レンゾ・ピアノ+ピーター・ライス+岡部憲明+マエダ * IBMパビリオン 1980年から1984年 * コルチャーノ住宅団地; 1978年から1982年 ==参考== *『ピーター・ライス自伝-あるエンジニアの夢みたこと』岡部憲明監訳 鹿島出版会 1997年 *『Le Verre Structure l』ピーターライス他著、1990年 *『構造家列伝 ピーター・ライス プロトタイプとヴァリエーション』「建築文化」1996.11月号 彰国社 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピーター・ライス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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