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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
P50はピール・エンジニアリング・カンパニーによって製造されていた三輪マイクロカーである。1962年から1965年にかけて生産されていた。世界最小の量産自動車として、2010年にギネスブックに認定されている。 == 概要 == 1955年、それまでフェアリングの製造などを行っていたピール・エンジニアリング・カンパニーは、「マンクスカー」を発表し、マイクロカー製造への参入を発表した。マンクスカーは税制の改正など諸事情により市販されずに終わったが、その製造ノウハウを生かし新たなマイクロカーを計画した。 1962年、ピール初の量産車であるP50を発表、デリバリーを開始した。P50は当時の価格で199ポンドという非常に安価な価格で提供された。製造拠点はマン島に置かれた。 P50はシティカーとして設計された。コンセプトは「大人一人にショッピングバッグ一つ」で、居住空間は必要最低限であり、ドライバー1人が乗り込むと買物袋程度の積載が行える程度であった。 ボディはグラスファイバー製で、ドアは左側に1枚のみ備えている。灯火類はフロントに1つのヘッドライトとリアに2つのブレーキランプを備え、ウインカーはフロントにのみ装着された。そのため交差点を曲がる際には後続車へは手信号で合図する必要があった。ワイパーは1本のみフロントガラスの上部に装備された。カラーバリエーションはデイトナホワイト、ドラゴンレッドとダークブルーが設定されていた。エンジンは4.2馬力を発生するモペッド用の49ccのDKW2ストロークエンジンで、最高速度は61km/hを誇り、公称燃費は2.8 L/100kmであった。 P50はバックギアを備えていなかった。しかし車体が60kg弱と非常に軽量なため、必要に応じて背面のバンパー位置に備わったハンドルを持ち、キャスターバッグのように牽引して方向転換を行うことが可能であった。 1963年にはプロモーションのためブラックプールにあるブラックプールタワーの上層階に運ばれ、観測バルコニーの周りを走行しそのボディの小柄さと小回りのよさをアピールした。 P50は1965年まで製造された。総生産台数は3年で47台と振るわなかった。 その後2010年には、ピール・エンジニアリング・リミテッドより、レプリカバージョンの復刻生産が開始された(なおピール・エンジニアリング・リミテッドは旧ピール・エンジニアリングと直接的な関連はない)。復刻版の外見は非常にオリジナルに似ているが、サスペンション、ステアリング、ドライブトレイン等、主要なメカニズムに大きな違いがあった。2010年よりデリバリーされたP50は電気モーターで駆動するEVであった。モーターは最高速度16km/h(10mph)の速度でしか走れなかったため、公道での使用はできなかった。しかしEVである利点としてバックギアを備えていた。2011年には公道走行可能な新たなバージョンのEVと、3馬力の4ストロークエンジンを備えたガソリンバージョンのデリバリーが開始された。両モデルともにバックギアが標準装備された。生産はかつてのマン島ではなく、サットンインアッシュフィールドで行われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピール・P50」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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