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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ファイトガリバーは日本の競走馬。おもな勝鞍は桜花賞。全兄にはNHK杯勝ち馬で皐月賞2着のナリタタイセイがいる。主戦騎手は田原成貴。 なお、馬齢は旧表記(数え年)で統一する。 ==戦績== 1995年10月に京都競馬場の新馬戦でデビューし、勝利を挙げる。3歳シーズンはこの一戦のみで終えた。 年が明けて、格上挑戦の紅梅賞 (オープン) で2着と好走すると、次走で順当に自己条件を勝ち上がる。しかし、この時点では牝馬クラシックの主役級になると見られた存在ではなく、この馬についての評判は、ほとんどが父ダイナガリバー譲りの四白大流星の美しい馬体に関してであった。次いで、桜花賞トライアルのアネモネステークスに出走。1番人気に支持されるも、3着と優先出走権を獲得できなかった。 このため、桜花賞は除外される恐れがあったが、直前で回避馬が相次いだため、なんとか出走枠に入る事が叶った。なお、回避馬の中には本命と目されていたエアグルーヴも含まれていたため、この年の桜花賞は一転して混戦模様を呈していたが、ファイトガリバーは格下と見られて10番人気に過ぎなかった。 レースでは、ほぼ最後方に近い位置取りから巧みに馬群をさばいていき、4コーナーで好位につけると、外から力強い伸び脚を見せ、イブキパーシヴを半馬身差し切った。人気薄で思い切りの良い競馬ができる気楽さもあったにせよ、大一番でファイトガリバーの能力を最大限に引き出した田原の好騎乗も光った。 続く優駿牝馬(オークス)では、母方の血統面から距離が不安視され4番人気であったが、後方から直線で鋭い差し足でエアグルーヴに迫り、1馬身半差の2着に食い込んだ。これにより、桜花賞が決してフロックではなかったことを示し、エアグルーヴと並ぶ4歳牝馬路線の主役になると共に、秋へと期待がかけられた。だが、休み明け初戦のローズステークスが7着に終り、さらにレース中に屈腱炎を発症。このため、秋華賞への出走を断念。長期休養を余儀なくされた。 復帰戦となったのは、翌5歳時の富士ステークス。ここを12着と大敗すると、その後も体調面も万全ではなく4戦して未勝利。京都牝馬特別の4着が唯一の掲示板入りで、ついに往年の走りを取り戻すことはできずに6歳時の中山牝馬ステークスを最後に現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファイトガリバー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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