|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field
ファイヤー原田(ファイヤーはらだ、男性、1974年8月14日 - )は、日本の元キックボクサーでありJ-NETWORK系列ファイヤー高田馬場ジム会長。本名は原田 俊政(はらだ としまさ)。埼玉県出身。血液型はB型。 == 来歴 == 2003年5月3日、第14回全日本新空手道選手権大会K-2トーナメント軽中量級に出場し、優勝〔第14回 全日本新空手道選手権大会 新空手道連盟公式サイト〕。 2003年10月19日、J-NETWORKでプロデビュー。 2008年4月20日、東京都新宿区高田馬場に自身が会長を務めるファイヤー高田馬場ジムをオープンさせた〔ファイヤー原田のファイヤー高田馬場ジムお知らせ 2008年3月20日〕。 2009年3月14日、「Krush.2」で岩切博史と対戦。3Rでは決着がつかず、延長Rに突入するも、パンチを受けて口内から出血し、ドクターストップ負けとなった。負けはしたものの、大会を観戦していた谷川貞治K-1プロデューサーは好評価していた。 2009年8月14日、Krushライト級グランプリ2009に出場。1回戦で前田尚紀と対戦し、ダウンを奪うもKO負けを喫した。 2010年5月2日、K-1初参戦となったK-1 WORLD MAX 2010 〜-63kg Japan Tournament 1st Round〜で才賀紀左衛門と対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2010年10月3日、K-1 WORLD MAX 2010 FINAL16でキム・テファンと対戦し、1Rに3度のダウンを奪われKO負けとなった〔【K-1MAX】ペトロシアン、危なげなくFINALへ!キシェンコ、注目のサガッペットは敗退 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月3日〕。 2011年2月20日、1年2か月ぶりの参戦となったJ-NETWORKのメインイベントで川井りん太郎と対戦し、3R残り1秒で右ハイキックによるKO勝ちを収めた〔【J-NETWORK】後楽園ホールが大爆発!ファイヤー原田がラスト1秒で劇的なKO勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年2月20日〕。 2011年8月21日、初のタイトルマッチになるJ-NETWORKライト級タイトルマッチで王者黒田アキヒロと対戦し序盤からパンチとローキックで攻め続けるが3Rに奥足にローキックをもらいダウン。立ち上がるも再びローキックでダウンを奪われKO負けを喫した。試合後に現役引退を発表しキックボクシングへの感謝のコメントを残した〔【J-NETWORK】ファイヤー原田が涙の現役引退!黒田&佐藤が王座防衛 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年8月21日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファイヤー原田」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|