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ファティマの聖母(ファティマのせいぼ、)は、ポルトガルの小さな町ファティマで起きた、カトリック教会が公認している、聖母の出現の一つ。ローマ教皇庁は奇跡として公に認めたが、第三の予言は長年にわたり秘匿した〔アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著、成相明人訳『ファチマの聖母』フマネ・ヴィテ研究会〕。何万もの群衆を前に太陽が狂ったように回転して見えたり、水源のないところから水が湧き、飲む者に奇跡的な治癒があったりしたことから、1930年10月13日現地管区レイリア司教によってこの出現は公認され、同年教皇ピオ12世は同地に巡礼する者への贖宥(免償)を宣言した。1967年には教皇庁により最初の聖母の出現のあった5月13日がファティマの記念日に制定され、歴代ローマ教皇が巡礼に訪れたり、この出現のメッセージに基づき世界の奉献を行った。 == 概要 == 1916年春頃、ファティマに住むルシア、フランシスコ、ジャシンタら3人の子供の前に平和の天使とする14-15歳位の若者が現れ、祈りの言葉と額が地につくように身をかがめる祈り方を教えた。その後も天使の訪問は続いた〔アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著、成相明人訳『ファチマの聖母』フマネ・ヴィテ研究会、pp.21-26〕。1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に聖母マリアが現れて毎月13日に同じ場所へ会いに来るように言った。子供たちは様々な妨害に遭いながらも、聖母に会い続けて様々なメッセージを託された〔アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著、成相明人訳『ファチマの聖母』フマネ・ヴィテ研究会、pp.27-36〕。聖母からのメッセージは大きく分けて3つあった。 #死後の地獄の実在:多くの人々が罪な生活、傾向によって、死後地獄へ導かれている。肉欲や傲慢など現世的な罪から回心しないままでいることにより、人は死後、永遠の地獄へと行く。具体的に、聖母はこの少女ら3人に7月13日、地獄のビジョンを見せ、彼らはそのあまりの光景に戦慄した〔アロイジオ・デルコル神父『地獄について』世のひかり社、p28-29〕〔アロイジオ・デルコル神父『ファティマの聖母』世のひかり社、p.20〕〔アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著、成相明人訳『ファチマの聖母』フマネ・ヴィテ研究会、pp.40-47〕〔教皇庁教理省『ファティマ 第三の秘密』カトリック中央協議会、2001年、pp.16-17〕。地獄は神話ではなく実在し、そこは全ての人が死後行く可能性のあるところで、入ったが最後、二度と出ることはできない。 #大戦争の終焉と勃発:第一次世界大戦は、まもなく終わること。しかし人々が生活を改め罪を悔い改めないなら、さらに大きな戦争が起き、沢山の人が死に、そしてその多くが地獄に落ちてしまうこと。その前兆〔次の戦争を意味すると解釈されている。〕として、ヨーロッパに不気味な光が見えるだろう〔1938年、ヨーロッパで巨大なオーロラが観測された直後に第二次世界大戦が勃発している。 〕、ということ〔アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著、成相明人訳『ファチマの聖母』フマネ・ヴィテ研究会、p.41〕〔教皇庁教理省『ファティマ 第三の秘密』カトリック中央協議会、2001年、p.18-19〕。 #秘密:聖母マリアは、1960年になったら公開するように、それまでは秘密に、とルシアに厳命した。その内容は「ファティマ第三の秘密」と呼ばれ、ルシアを通じて教皇庁に伝えられたが、1960年が過ぎても教皇庁は公開せず、2000年になってから発表に踏み切った。教皇庁によれば教皇暗殺の危機だとされる。ヨハネ・パウロ2世は、ファティマ出現記念日〔1967年5月13日に制定されている。〕である1981年5月13日に発生した事件を東欧の政権による暗殺未遂と発表しているが、後述した理由から疑問視する意見〔Father Paul Kramer, B.Ph., S.T.B., M.Div., S.T.L. ,The Fatima Crusader Issue 73, Spring 2003〕もある。 聖母から教皇への要望は以下であった。 #ロシアの奉献:ロシアを聖母に奉献し、ロシアが引き起こしかねない災厄と誤謬から世界を救うこと〔出現があった当時は、ボルシェビキ政権は成立していなかった。後年にロシア共産革命、冷戦となって現実化する。〕。また祈り、カトリック信者はロシアの回心と世界の平和の為に、ロザリオを唱えること〔アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著、成相明人訳『ファチマの聖母』フマネ・ヴィテ研究会、pp.76-86〕〔教皇庁教理省『ファティマ 第三の秘密』カトリック中央協議会、2001年、pp.18-19〕。 #人々の回心:カトリック信者は毎週主日に聖体拝領するように。そして、よく告解し、罪を避け、敬虔な生活を送るように。 聖母からの大きな奇跡があった。 #1917年10月13日、集まった約七万人〔ダニエル・レジュ著「第3の予言」たま出版P102〕の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)〔アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著、成相明人訳『ファチマの聖母』フマネ・ヴィテ研究会、pp.53-58〕された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。 #多くの人々はこの奇跡は世の終わりのことを指していると考えて恐怖を感じた。 後年にカトリック教会・ローマ教皇庁はこの一連の現象を聖母の出現と公認し、5月13日はファティマの聖母の出現記念日とされた。出現を受けた3人のうちフランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの兄妹は聖母の預言どおりにまもなく病死して2000年にヨハネ・パウロ2世により列福〔アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著、成相明人訳『ファチマの聖母』フマネ・ヴィテ研究会、pp.60-68〕されている。残る一人のルシア・ドス・サントスは修道女になり「予言」の内容を教皇庁に伝え、2005年2月13日に97歳で死去している。一連の奇跡や教皇庁の認可、啓示などからファティマは有名になり、カトリック信者の大規模な巡礼地〔ファティマ (Fátima)、世界一の祭壇への旅 ポルトガル政府観光局 〕である。ジャシンタ・マルトの遺体は1935年と1951年に墓地から掘り返されたが顔の箇所は全く腐敗しておらずに奇跡とされ、現在はファティマ大聖堂の中に安置されている。 〔ダニエル・レジュ著「第3の予言」たま出版P89-109〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファティマの聖母」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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