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ファッラーヒーン : ミニ英和和英辞書
ファッラーヒーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ファッラーヒーン : ウィキペディア日本語版
ファッラーヒーン[ちょうおん]

ファッラーヒーンファラヒン、, , 単数形: ファッラーファラー、, )またはフェッラーヒーンフェラヒン、, , 単数形: フェッラーフェラー、, )とは、中東に住む農民、農夫、農業労働者を意味する言葉。アラビア語で「耕す人」を意味する語に由来する。
イスラム教が中東に広まった時期、各地に支配者として移住したアラブ人(遊牧民ベドウィンなども含む)と、征服された土地に住む被支配層の農民(エジプト民族シリア民族など)らを区別するためにファッラーヒーンという語が使用された。後に、単に地方の住民や農民を指す語としても使われるようになった〔Land for the Fellahin: Land Tenure and Land Use in the Near East, Raymond E. Crist, Published by Robert Schalkenbach Foundation, 1961〕。
== 中東の農村部の人々 ==
ファッラーヒーンはオスマン帝国時代以後、エジプトシリアパレスチナキプロスなど中東全域で「村人」あるいは「農民」を意味する語となった〔''Yemen into the twenty-first century: continuity and change'' By Kamil A. Mahdi, Anna Würth, Helen Lackner, Garnet & Ithaca Press, 2007, p.209 Google ブックス 〕〔''Catastrophe remembered: Palestine, Israel and the internal refugees : essays in memory of Edward W. Said (1935-2003),'' Nur Masalha, Zed Books, 2005, p. 78〕。ファッラーヒーンらはエフェンディ(effendi、地主階級)とは区別されるが〔State lands and rural development in mandatory Palestine, 1920-1948, Warwick P. N. Tyler, Sussex Academic Press, 2001, p. 13〕、ファッラーヒーンには小作人から小規模地主、村全体で土地を共有するような村の住民まで、多くの形態がある〔 Hillel Cohen, ''Army of Shadows, Palestinian Collaboration with Zionism, 1917–1948'', University of California Press, 2008, p. 32〕〔Healing the Land and the Nation: Malaria and the Zionist Project in Palestine, 1920-1947, Sandra Marlene Sufian, University of Chicago Press, 2007, p. 57〕。また土地を持たない労働者のみをファッラーヒーンとする用法も見られる〔Lords of the Lebanese Marches: Violence and Narrative in an Arab Society, Michael Gilsenan, I.B.Tauris, 2003, p. 13〕。ファッラーヒーンと呼ばれる村人にはキリスト教徒ドゥルーズ教徒イスラム教徒などさまざまな宗教の信者も含まれる〔Syria and the Holy Land, George Adam Smith, George H. Doran company, 1918, p. 41 Google ブックス 〕。エジプトなどの中でも、地方部にあたる地域から都市部へ移住してきた人々もファッラーヒーンと呼ばれる。
エジプトの人口の60%を構成する〔http://www.semp.us/biots/biot_312.html〕ファッラーヒーンらは、質素な生活を送り、祖先伝来の日干し煉瓦の家で生活する。ファッラーヒーンがエジプトの人口に占める割合は20世紀初頭には現在よりも高かったが、20世紀後半には人口の都市への大移動が起こり、多くのファッラーヒーンらが首都カイロ周辺のスラムなどで暮らすようになった。1927年上エジプトの農民層の生活の民族学調査を指揮した人類学者のウィニフレッド・ブラックマン(Winifred Blackman)は、ファッラーヒーンらの文化や宗教上の信仰と実践には、古代エジプト人の文化などからの連続性が認められると結論した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ファッラーヒーン」の詳細全文を読む




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