|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ビア : [びあ] 【名詞】 1. beer 2. (n) beer ・ ブル : [ぶる] 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
ファビアン・ブルザ(, 1980年12月19日 - )は、フランス・ナント出身の男性元フィギュアスケート(アイスダンス)選手。パートナーはナタリー・ペシャラなど。 2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピック、2014年ソチオリンピックフランス代表。2012年、2014年世界選手権3位、2011年、2012年欧州選手権優勝。 == 経歴 == フランスのナントに生まれ、父親の仕事の都合でアフリカや環太平洋で過ごした後〔公式サイトの略歴参照〕、帰国し、7歳のときにブリーブ・ラ・ガイヤルドのスケートクラブに入会しスケートを始めた。 ジュニア時代の初期にカロリーヌ・トリュオンらとカップルを結成したが長続きせず、2000年にナタリー・ペシャラとカップルを結成した。ナタリー・ペシャラとのカップルで臨んだISUジュニアグランプリではJGPハルビンとJGPSBC杯で2位、2002年世界ジュニア選手権では6位入賞を果たした。2002-2003シーズンよりシニアクラスに移行。2003年と2005年の冬季ユニバーシアード競技大会で2大会連続の3位となり、フランス選手権でも表彰台の常連になるまでになったが、ISUグランプリシリーズで表彰台に立つことはなかった。2006年トリノオリンピックでは18位に終わる。 2006-2007シーズン、スケートアメリカでISUグランプシリーズ初表彰台の3位となる。翌2007-2008シーズンにはISUグランプリシリーズの初戦スケートアメリカで2位、次戦のロシア杯では自己最高得点をマークして2位となり、初のグランプリファイナル進出を決めた。グランプリファイナルでは精彩を欠き6位に終わった。2シーズンぶり3度目の出場となった2008年欧州選手権では自己最高得点をマークし5位入賞を果たした。 2008-2009シーズン、スケートカナダではリフト中に転倒があるミスなどで3位、NHK杯では2位となったもののグランプリファイナルへの進出とはならなかった。フランス選手権では初優勝、欧州選手権と世界選手権では前年よりも順位を上げた。 2009-2010シーズン、ISUグランプリシリーズのエリック・ボンパール杯とスケートカナダでは2位となった。グランプリファイナルでは2度目の出場で初めてのメダルとなる銅メダルを獲得した。2度目のオリンピック出場となったバンクーバーオリンピックでは7位。世界選手権ではフリーダンスでは3位となり、世界選手権での初めてのスモールメダルを獲得したが、オリジナルダンスのミスが響き4位に終わった。 2010-2011シーズン、ネーベルホルン杯で国際大会初優勝。フィンランディア杯でもショートダンス、フリーダンスを通じて1位の完全優勝を果たした。ISUグランプリシリーズ中国杯で優勝。この優勝はジュニア時代を通じて、ISU主催の大会の初めての優勝となった。続くエリック・ボンパール杯でも優勝を果たし、全体で2位の成績でグランプリファイナルに進出。昨年よりも順位を1つ上げ、銀メダルを獲得した。欧州選手権では初めてのメダルとなる金メダルを獲得した。メダル獲得が期待された世界選手権ではSDで70点台にのせて3位。しかし、FDではプログラム後半のサーキュラーステップシークエンスに入った直後に転倒し、それにつられてペシャラも転倒。FDだけでは6位となり、わずかな差でメダルを逃すこととなった。 2011-2012シーズン、夏に練習拠点をモスクワからデトロイトに移し、パスカーレ・カメレンゴとアンジェリカ・クリロワ夫妻の指導を受けることになった。欧州選手権を除くすべての試合でメリル・デイヴィス/チャーリー・ホワイト組あるいはテッサ・ヴァーチュ/スコット・モイア組とぶつかり、彼らを上回ることはできなかったが、欧州選手権では2連覇を果たした。3月13日に世界選手権へ向けての練習でツイズル中にペシャラが鼻骨を骨折。手術を予定していたが、試合への影響を考えて予定を遅らせた。試合本番では地元のフランスの観客と歴代のメダリスト達が見守る中、SD、FD共にスタンディングオベーションを起こす演技を披露し、念願の初めての世界選手権のメダルを獲得した。 2012-2013シーズン、中国杯、エリック・ボンパール杯で優勝。グランプリファイナルでは4年連続でメダルを獲得。フランス選手権では3連覇を果たした。連覇を狙った欧州選手権だったが、右脚の内転筋を部分断裂したために欠場〔Péchalat-Bourzat forfait 〕。世界選手権ではレベルの取りこぼしが響き6位に終わった。5月にはコーチをイーゴリ・シュピリバンドに変更した〔Pechalat, Bourzat team up with Shpilband in Novi 〕。 2013-2014シーズン、中国杯で2年連続優勝、エリック・ボンパール杯で3位となった。グランプリファイナルでは、SDは5位と出遅れるも、FDで巻き返して3位。5年連続でメダルを獲得した。ソチオリンピックではSDとFDの両方で自己ベストを更新するも4位だった。演技後のインタビューで競技からの引退を発表した〔Péchalat et Bourzat s'arrêtent là 〕。しかし3月に入り引退を撤回し世界選手権に出場する事を発表した〔INFO : CHAMP. DU MONDE – SAITAMA (JAP) 〕。SDでは3位、FDでは2位ではあったが0.06の差で優勝は逃すも、2年ぶりに銅メダルを獲得した。演技後のインタビューで改めて引退を発表〔Cappellini, Lanotte win dance by razor-thin margin 〕。 引退後はシュピリバンドと共にアメリカのノバイでコーチを始めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファビアン・ブルザ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|