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ファビラスラフイン (''Fabulous la Fouine'') はフランスで生まれ日本で走った競走馬である。名前はファビラスラフィンではなくファビラスラフインである。 ※馬齢は旧表記で統一する(テンプレート内は現在の年齢表記)。 == 戦績 == デビューは4歳の2月と遅めであった。3番人気ではあったが、藤田伸二を背に、2着に7馬身差をつけ勝利。続くさわらび賞では5馬身差、初の重賞挑戦となったニュージーランドトロフィー4歳ステークスも勝利し、デビューから3連勝を飾った。しかし、外国産馬であったため、クラシックには出走できなかった。 そして第1回NHKマイルカップでは1番人気に支持を受け出走したが、バンブーピノの作り出した前半1000mが56秒7という超ハイペースに巻き込まれたことが災いしてか、14着と大敗した。 夏は休養し、第1回秋華賞への出走を目指して調整された。騎手は藤田に別馬(ロゼカラー)の先約があったため、負傷から復帰したばかりの松永幹夫を迎えた。そこでは優駿牝馬(オークス)優勝馬エアグルーヴが圧倒的1番人気に支持され、エアグルーヴと同様にぶっつけで挑むファビラスラフインは短距離馬と思われていたこともあって18.8倍と離れた5番人気にとどまった。レースは、シルクスプレンダーの逃げで前半の1000mが58秒7とまたもハイペースとなったが、ファビラスラフインは前半を3番手から進み、4コーナーでは2番手まで上がり、その勢いのまま抜け出して押し切った〔この時の走破タイム1分58秒1は、当時のコースレコード(1995年に朝日チャレンジカップで、マイシンザンが記録した1分58秒0)にコンマ1秒差であると同時に、2014年にショウナンパンドラが1分57秒0を記録するまでの秋華賞レコードでもあった。〕。また、展開に恵まれた勝利ではなく、正攻法の内容で勝利したことで、この馬の実力が示された1戦でもあった。 次走は普通であれば最強牝馬決定戦であるエリザベス女王杯に進むところだが、陣営はジャパンカップに出走することを選択した。 1996年のジャパンカップは、凱旋門賞優勝馬エリシオや、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス優勝馬のペンタイア、ブリーダーズカップ・ターフ2着馬のシングスピールなど外国馬の強豪が揃った。また日本馬も、天皇賞(秋)の優勝馬バブルガムフェロー、エリザベス女王杯優勝馬のダンスパートナーなどが出走し、ファビラスラフインもここではさすがに見劣りし、7番人気であった。レースは、カネツクロスが逃げを打ち、ファビラスラフインは2番手に控えた。4コーナーを3番手で回って迎えた最後の直線で、前を行くカネツクロスとエリシオをかわしたファビラスラフインの脚色は衰えず、猛追したシングスピールとの追い比べの結果、ハナ差差されたが2着に入った。日本の牝馬が前年のヒシアマゾンに続いて2年連続で連対を果たし、4歳馬となると日本馬としては牡馬も含めて史上初の連対であった。しかも、後にドバイワールドカップやインターナショナルステークスを勝つシングスピールにハナ差まで迫り、通過タイムも2分23秒台で優秀とあって、2着ではあったが非常に価値のあるレース内容であった。 その後は有馬記念に出走し、4番人気に支持されたが、ジャパンカップの激走による疲れからか10着と敗れた。その後、屈腱炎を発症したため同競走を最後に引退し、同年のJRA賞最優秀4歳牝馬(部門名は当時)を受賞している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファビラスラフイン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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