翻訳と辞書
Words near each other
・ ファブリシオ・ヴェウドム
・ ファブリス
・ ファブリス・アクワ
・ ファブリス・アブリエル
・ ファブリス・アルセビアデス・マイエコ
・ ファブリス・アルセビアーデス・マイエーコ
・ ファブリス・エレ
・ ファブリス・オリンガ
・ ファブリス・ギー
・ ファブリス・コラ
ファブリス・サントロ
・ ファブリス・デ・ノーラ
・ ファブリス・ベゴルギ
・ ファブリス・ベニシュ
・ ファブリス・ムアンバ
・ ファブリス・ルキーニ
・ ファブリダム
・ ファブリチウス
・ ファブリックナシオナール
・ ファブリックナショナル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ファブリス・サントロ : ウィキペディア日本語版
ファブリス・サントロ

ファブリス・ベテア・サントロFabrice Vetea Santoro, 1972年12月9日 - )は、フランスの元男子プロテニス選手。タヒチ島生まれ。これまでにATPツアーでシングルス6勝、ダブルス24勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス17位、ダブルス6位。身長177cm、体重74kg、右利き。フォアハンド・ストローク、バックハンド・ストローク・ボレーすべて両手打ちは男子プロとしてはかなり珍しい。強打を武器とせず、トリッキーな配球で相手を翻弄するプレイスタイルから『フレンチマジシャン(フランスの魔術師)』の異名を持つ。
ダブルスでは全豪オープンで2回、マスターズで3回の優勝経験がある。また、グランドスラムシングルス本戦出場70回の史上最多出場記録を持っている。
== 来歴 ==
1989年にプロ入り。1991年に初めて男子テニス国別対抗戦・デビスカップフランス代表選手に起用され、「ワールドグループ」準決勝のユーゴスラビア戦でシングルス2試合に勝利を収めた。この年は地元の全仏オープンでも活躍し、ドイツミヒャエル・シュティヒとの4回戦まで進出する。1992年バルセロナ五輪で、サントロはいきなり男子シングルス3回戦でボリス・ベッカーを破り、準々決勝で当年度のウィンブルドン準優勝者ゴラン・イワニセビッチに 7-6, 7-6, 4-6, 4-6, 6-8 の逆転で敗れた。しかし、その後に長期間の低迷期が訪れ、1993年全仏オープン1回戦では日本松岡修造に敗れたこともある。1997年10月、サントロは24歳にしてフランス・リヨン大会で決勝でドイツトミー・ハースを破り、ようやくATPツアーのシングルス初優勝を果たした。それ以来、サントロはシングルスで通算4勝を挙げている。1998年はダブルスで好成績を挙げ、年間4勝を記録した。
2002年全豪オープンで、サントロは8歳年下のフランスミカエル・ロドラとペアを組み、初めて4大大会の男子ダブルス決勝に進出した。その決勝戦ではダニエル・ネスターカナダ)&マーク・ノールズバハマ)組に 6-7, 3-6 で敗れたが、これをきっかけにサントロはロドラとダブルスを組むことが多くなり、全豪オープンでは2004年まで3年連続で決勝に進出した。2003年の全豪ダブルス決勝で、サントロ&ロドラ組は前年と同じネスター&ノールズ組を 6-4, 3-6, 6-3 で破り、4大大会ダブルス初優勝を飾る。2004年ではアメリカボブ・ブライアンマイク・ブライアンの「ブライアン兄弟」を 7-6, 6-3 で破り、全豪ダブルス2連覇を達成した。また、同じ2004年全仏オープンでも初の決勝に進出したが、ベルギーオリビエ・ロクス&グザビエ・マリス組に 5-7, 5-7 で敗れ、地元の大会での優勝を逃した。翌2005年全仏オープンでは、混合ダブルスでスロバキアダニエラ・ハンチュコバとペアを組み、決勝でリーンダー・パエスインド)&マルチナ・ナブラチロワ組を 3-6, 6-3, 6-2 で破り、4大大会の混合ダブルス部門で初優勝を飾った。
サントロはオリンピックのフランス代表選手としても、1992年バルセロナ五輪2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪の3大会において、出場経験がある。2000年9月のシドニー五輪では、男子シングルス1回戦で全米オープン優勝者のマラト・サフィンを破ったが、3回戦で敗退する。アテネ五輪ではシングルスと男子ダブルスの両部門に出場し、シングルスでは2回戦でスペイントミー・ロブレドに敗れ、ロドラと組んだダブルスでは準々決勝でクロアチア代表のマリオ・アンチッチ&イワン・リュビチッチ組に 6-4, 3-6, 7-9 の激戦で敗れた。
2004年全仏オープン1回戦で、ファブリス・サントロは同じフランスアルノー・クレマンと当時の「テニス史上最長試合」を戦った。この試合は2日がかりの「6時間33分」を要し、サントロが 6-4, 6-3, 6-7, 3-6, 16-14 のスコアでクレマンを破って初戦を突破した(この記録は2010年ウィンブルドン選手権ジョン・イスナーニコラ・マユによって大幅に更新された。)。この後サントロは3回戦まで勝ち進んでいる。2006年全豪オープンで、サントロは33歳にして初めて4大大会シングルスで自己最高の準々決勝に進出したが、アルゼンチンダビド・ナルバンディアンに 5-7, 0-6, 0-6 で完敗した。
2010年全豪オープン1回戦でマリン・チリッチに敗れた試合を最後に現役を引退した。サントロは4大大会シングルス本戦に通算70回出場している。これは男子選手では史上1位の記録である。(女子の1位はエミー・フレージャーの71回、男子の2位はロジャー・フェデラーの64回。)
2014年12月に開催されたコカ・コーラ/カタール航空IPTLではインディアン・エーシーズのコーチ(レジェンドシングルス兼任)に就任。チームの優勝に貢献した。2015年大会も引き続き同チームに所属。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ファブリス・サントロ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.