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ファラオ・サンダース : ミニ英和和英辞書
ファラオ・サンダース[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ダース : [だーす]
 【名詞】 1. dozen 2. (n) dozen
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ファラオ・サンダース : ウィキペディア日本語版
ファラオ・サンダース[ちょうおん]

ファラオ・サンダース(Pharoah Sanders、1940年10月13日 - )は、アメリカ合衆国ジャズサクソフォーン奏者。アーカンソー州リトル・ロック出身。晩年のジョン・コルトレーンと活動を共にしており、彼の後継者として知られている。
== 経歴 ==
クラリネットを始めた後に、テナー・サックスへと転向した。当初はブルースを演奏し、ボビー・ブランドがリトル・ロックを訪れた際、バックを務めた経験もある〔Allmusic 〕。大学進学のためにカリフォルニア州オークランドへ移り、1961年、拠点をニューヨークへと移す。
サン・ラとの共演を経て、1964年、自身初のリーダー・アルバム『Pharoah's First』をESPから発表した。1965年にはジョン・コルトレーンのグループに加入する。コルトレーンにとって唯一の日本公演にも帯同し、彼が1967年に他界してからはバンド・リーダーとしての活動が中心となる。
インパルス!レコードから発表した諸作では、ゴスペルファンクアフロビートなど幅広い黒人音楽をフリー・ジャズに取り込んだことで知られている。32分に及ぶ「The Creator Has A Master Plan」を収録した『Karma』(1969年)は、『Black Unity』(1971年)とならぶ彼の代表作のひとつである。なお、『Love In Us All』(1973年)では自らボーカルを披露している。インパルス!時代における彼のサイドマンとして、ロニー・リストン・スミスセシル・マクビーロン・カータースタンリー・クラークなどが挙げられる。
1977年にアリスタ・レコードへ移籍してからは、コンテンポラリー路線にも手を染めるようになる。1987年にはオランダのジャズ・レーベル、タイムレス・レコードに移籍。ヴァーヴ・レコードから発表した『Message From Home』(1996年)と『Save Our Children』(1998年)は、バーニー・ウォーレルジャー・ウォブルが参加し、ビル・ラズウェルがプロデュースを担当している。日本のジャズ・レーベル、ヴィーナス・レコードが監修した『The Creator Has A Master Plan』(2003年)には、同名曲の再演や、ホイットニー・ヒューストンのカバー「Greatest Love Of All」が収録されている。2004年には日本のバンドSLEEP WALKERと共演し、その時の音源は同バンドの『The Voyage』(2006年)に収録されている〔CDjournal.com 〕。
自身のリーダー作においては、コルトレーンが作曲した楽曲(「Naima」「Welcome」)や、彼がレパートリーとした楽曲(「The Night Has A Thousand Eyes」)を頻繁に取り上げ、師としての彼に対する敬意を表明している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ファラオ・サンダース」の詳細全文を読む




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