翻訳と辞書
Words near each other
・ ファルコーネ
・ ファルサ
・ ファルサフ
・ ファルサファ
・ ファルサラ
・ ファルサルスの会戦
・ ファルサルスの戦い
・ ファルサロスのメノン
・ ファルサロスのメノン1世
・ ファルサロスのメノン2世
ファルサロスのメノン3世
・ ファルサロスのメノン4世
・ ファルサロスの会戦
・ ファルサロスの戦い
・ ファルシ
・ ファルシェピング
・ ファルシェーピング
・ ファルシオン
・ ファルシオン (ゲーム)
・ ファルショーピング


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ファルサロスのメノン3世 : ミニ英和和英辞書
ファルサロスのメノン3世[ふぁるさろすのめのん3せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ファルサロスのメノン3世 : ウィキペディア日本語版
ファルサロスのメノン3世[ふぁるさろすのめのん3せい]
メノン(希:Mένων、ラテン文字転記:Menon、?-紀元前400年)は、キュロスの反乱に参加したテッサリア人である。
== 生涯 ==
メノンはアレクシデモスなる人物の息子で、弁論家ゴルギアスの門弟の一人でもあった〔プラトン, 『メノン』, 70b〕。メノン自身の名を冠したプラトンによる対話篇『メノン』においては(必ずしも歴史をそのまま書いたものとは言えないではなかろうが)、ソクラテスとの対話時にはメノンは秘儀を受けるためにアテナイに滞在しており、たくさんの従者を連れていたという風に描写されている〔ibid, 76e, 82a〕。美少年であった彼は若い頃にラリサ人のアリスティッポスの愛人となって彼にせがんで傭兵の指揮権を得てアジアに渡り、そこで美少年の愛好家だったアリアイオスの愛人になり、タリュパスという愛人も持っていたという〔クセノポン, II. 6. 29〕。
メノンは(おそらくアリスティッポスから貰った傭兵であろうが)重装歩兵1000人と軽装歩兵500人を率いて他のギリシア人傭兵と同様に紀元前401年のキュロスの兄王アルタクセルクセス2世に対する反乱に参加し、コロッサイでキュロスに合流した〔ibid, I. 2. 6〕〔ディオドロス, XIV. 19〕。キリキアでは同地の王シュエンネシスの妻で、キュロスの軍に同行していたエピュアクサをキリキアへと送り返す任に着いたが、(略奪中か道に迷っていた時に)キリキア人との戦いで100人の重装歩兵を失った〔クセノポン, I. 2. 20〕。
その後、エウフラテス川のあたりで、キュロスがバビュロンに到着した暁には傭兵の隊長たちに5ムナを与え、イオニアに戻るまでの兵士の給料を全額支払うと約束した。この時、メノンは他の部隊が去就を明らかにする前にエウフラテス川を渡ってキュロスの歓心を買おうと部下の兵士たちに説いた。兵士たちはこれに賛同してその通りにし、その結果メノンは豪華な贈り物とねぎらいの言葉をキュロスから受け取った〔ibid, I. 4. 13-17〕。
カマンデという町でメノンの兵士とスパルタ人指揮官クレアルコスの兵士との諍いが元で両者が武器を取り、あやうく同士討ちになりそうになったことがあった。この時はテバイプロクセノスとキュロスの説得でクレアルコスは怒りを静めて事なきを得たが〔ibid, I. 5. 11〕、この件とキリキアでの事件はメノンの兵士の規律の低さを示している。ちなみにクセノポンはメノンは配下の兵士を自身の悪事の共犯者にすることによって従わせようとしていたと言っている〔ibid, II. 6. 27〕。クテシアスは(フォティオスによる『ペルシカ』の要約において)キュロスが何にせよメノンよりもクレアルコスの意見を聞いていたためにメノンとクレアルコスは不仲であったとしている〔フォティオス, cod. 72〕。
キュロスとアルタクセルクセスが戦ったクナクサでの決戦でメノンは右翼に配置されたギリシア人傭兵の左端を指揮した〔クセノポン, I. 8. 4〕。しかし、キュロスはこの戦いで討ち死にし、戦いの後にこれを知ったクレアルコスによってメノン(前述のように彼はアリアイオスと親しい間柄だったためである)はスパルタ人ケイリソポスと共にキュロスの副官であったアリアイオスの許へと、望むなら彼を王位につけるために働くつもりだと知らせるために送られた〔ibid, II. 1. 5〕。しかし、アリアイオスはペルシア側の太守ティッサフェルネスに懐柔されてペルシア王側に寝返った。ギリシア傭兵の総指揮官であったクレアルコスはアリアイオスを疑ってはいたが、一方でティッサフェルネスからギリシア傭兵の身の安全を得ようと交渉を続けていた。そこでクレアルコスは相手の疑いを解くために他の他のギリシア人傭兵の指揮官たち(アルカディア人のアギスアカイア人のソクラテス(哲学者のソクラテスとは別人)、プロクセノス、メノン)と共にティッサフェルネスとの会見に臨んだが、彼らはティッサフェルネスの騙まし討ちにあって殺された。しかし、そのうちメノンだけは殺されなかった〔ibid, II. 5. 31-38〕〔プルタルコス, 「アルタクセルクセス」, 18〕。クセノポンはその理由について明言してはいないが、ディオドロスはメノンの裏切りのためであるとしている〔ディオドロス, XIV. 27〕。なお、クテシアスは慎重なクレアルコスをメノンが騙してこの会見に臨ませたとしている〔フォティオス, cod. 72〕。それにもかかわらず、その一年後にメノンはアルタクセルクセスによって処刑された〔クセノポン, II. 6. 29〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ファルサロスのメノン3世」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.