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ファンタストは日本の競走馬。おもな勝ち鞍は弥生賞・皐月賞。柴田政人が初めて中央競馬のクラシックを勝った馬である。 名繁殖牝馬ソーダストリームの孫にあたり、叔父叔母や近親にはミオソチス(オールカマー、東京盃など)、アローエクスプレス、サンシャインボーイなど、伊達秀和ゆかりの活躍馬がずらりと並ぶ。 == 戦績 == デビュー戦である1977年6月の新馬戦で圧勝したものの、次走・函館3歳ステークス(落馬競走中止)以降は勝てないレースが続いた。 翌年、7戦目の弥生賞で久し振りの勝利を挙げると、叔父・アローエクスプレスが惜敗したクラシックレース・皐月賞を連勝。 デビュー戦からコンビを組んでいた柴田政人は、これが初めてのクラシックタイトル制覇であった。 だが、次走・日本ダービーはサクラショウリの10着に終わった。 その後、秋シーズンに向けて夏場を休養に当てたが、レース感覚を身に付ける為に出走した函館記念3着敗退〔勝ち馬は、落馬競走中止した函館3歳ステークスを制したバンブトンコート。〕の僅か10日後、滞在していた函館競馬場の厩舎で腸捻転を発症。 獣医達の懸命の治療の甲斐もなく、ファンタストは悶絶しながら急死した。 愛馬の壮絶な最期を看取った柴田政人は、『倒れる瞬間に、俺の方に顔を寄せて来たんだよ。きっと誰かに助けて貰いたかったんだな』と語っている。 のちにオーナーの伊達秀和や調教師の高松三太の子である邦男が中心になって北海道門別町(現在の日高町)に作られた競走馬のトレーニング施設「ファンタストクラブ」の名によって彼の功績は後世に伝えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファンタスト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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