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黄 仁植(ファン・インシク、1940年9月13日 -)は、韓国出身の武道家・アクション映画俳優。ハプキドー(韓国合気道)の師範であり、世界ハプキドー協会(World Hapkido Association)から10段の段位を贈られている。 日本ではもっぱら1970年代の香港映画への出演で知られており、漢字表記の広東語発音に由来する「ウォン・インシク」「ウォン・インシック」などで表記されることがある。 == 来歴 == === ハプキドーとの出会い === 1940年、日本統治下の朝鮮北部・順川(スンチョン、現在北朝鮮の統治範囲)に生まれる。幼い頃に家族とともにソウルに移住した。黄仁植は少年時にタンスド(唐手道)に触れ、13歳からはハプキドー(韓国合気道)を学んで、ハプキドー創始者の崔龍述に師事した(乙支館道場のキム・ヒョンサン(Kim Hyung Sang)によれば、黄仁植の最初の師匠はキム・ヨンジン(Kim Yong-Jin)だったという)〔Lee, Daniel. ''Hwang In-Shik: The Movie star and the Man''. Martial Arts Movies Vol.2, No.8, CFW Enterprises. Hollywood, California 1982.〕。16歳で黒帯が認められ、まもなく池漢載(チ・ハンジェ。「チー・ハンサイ」などの表記揺れがある)が統括する韓国ハプキドー協会本部に移った。ハプキドーの草創期、ハン・ボンス(Han Bong Soo)、キム・チョンソン(Kim Chong Sung)、ミョン・クァンシク(Myung Kwang-Sik)といった年長者たちがハプキドーの普及・拡大の中心に立っていたが〔Kimm, He-Young. ''Hapkido'' (alternately ''The Hapkido Bible''). Andrew Jackson Press, Baton Rouge, Louisiana 1991〕、黄仁植は蹴りの能力で頭角を現した。1976年には韓国ハプキドー協会で7段の段位に昇り、本部道場の師範(chief instructor)になった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黄仁植」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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