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フアン・カルロス・フェレーロ(Juan Carlos Ferrero, 1980年2月12日 - )は、スペイン・オンテニエンテ出身の男子プロテニス選手。身長183cm、体重73kgの細い体型から“''Mosquito''”(モスキート)と呼ばれている。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス198位。ATPツアーでシングルス16勝を挙げた。 2003年全仏オープン男子シングルス優勝者で4大大会では2度の準優勝経験がある。2002年最終戦マスターズ・カップ準優勝。マスターズ1000優勝4回。デビスカップではスペイン代表として3度の優勝に貢献。 ==選手経歴== ジュニア時代、1998年の全仏オープン男子ジュニアシングルス部門でフェルナンド・ゴンサレス(チリ)に敗れた準優勝がある。同年にプロ入り。翌1999年3月のハサン2世グランプリ(モロッコ・カサブランカ開催)が彼のATPツアーデビュー戦で、予選勝ち上がりからベスト4に進出した。1999年全米オープンで4大大会に初出場し、1回戦で第8シードのグレグ・ルーゼドスキー(イギリス)に敗れたが、翌週に開かれた地元スペイン・マヨルカ大会決勝でアレックス・コレチャを下し、ツアー初優勝を果たす。これらの好成績から、彼はシングルスランキングを年初の「348位」から年度末には「45位」にまで急上昇させ、1999年度のATPアワード「最優秀新人賞」を受賞した。 2000年全仏オープンで、フェレーロは初出場からいきなり準決勝まで進出し、クレーコートの王者グスタボ・クエルテン(ブラジル)に 5-7, 6-4, 6-2, 4-6, 3-6 で惜敗した。同年9月に開かれたシドニー五輪にもスペイン代表選手として出場し、第8シードとしてアルノー・ディ・パスカル(フランス)との準々決勝まで進出した。その後は特にクレーコートで圧倒的な強さを見せ続け、2001年のローマ・マスターズでは、決勝でクエルテンに3-6, 6-1, 2-6, 6-4, 6-2で勝利し、優勝している。しかし、同年の全仏オープンでは2年連続の準決勝でクエルテンに連敗する。2002年全仏オープンでは、ギリェルモ・コリア(アルゼンチン)、ガストン・ガウディオ(アルゼンチン)、アンドレ・アガシ(アメリカ)、マラト・サフィン(ロシア)といった強敵を次々と撃破し、初の決勝進出を果たすが、同じスペインの先輩選手アルベルト・コスタに 1-6, 0-6, 6-4, 3-6 で敗れて準優勝に終わった。 2003年の全仏オープンで、フェレーロは2年連続2度目の決勝進出で悲願の初優勝を達成した。この時は準々決勝でジュニア時代からのライバルだったフェルナンド・ゴンサレス(チリ)を6-1, 3-6, 6-1, 5-7, 6-4とフルセットの末に破り、その後準決勝でコスタを6-3, 7-6, 6-4で破り、1年前のリベンジを果たし、決勝でオランダのビッグ・サーバー、マルティン・フェルカークを 6-1, 6-3, 6-2 で圧倒している。この後全米オープンでもレイトン・ヒューイット(オーストラリア)、アガシら過去の全米優勝者を撃破して決勝に進出したが、地元アメリカの新星アンディ・ロディックに 3-6, 6-7, 3-6 で敗れて準優勝に終わった。全米オープン終了後、フェレーロは初めて世界ランキング1位になった。 その後は故障の影響もあり、彼は長期間の成績不振に苦しんだ。2004年から2008年までの5年間は、ATPツアーで6度の準優勝に止まっていた。その間、2007年ウィンブルドンで初のベスト8進出があり、この準々決勝ではロジャー・フェデラー(スイス)に 6-7, 6-3, 1-6, 3-6 で敗れた。2003年10月のマドリード・マスターズ以降、110大会もの間ツアー優勝から遠ざかっていたが、2009年4月のハサン2世グランプリ決勝でフローラン・セラ(フランス)を 6-4, 7-5 で破り、6年ぶりのツアー優勝を飾った。それからウィンブルドンでランキングが足りず、ワイルドカードでの出場であったにもかかわらず、3回戦で第10シードのフェルナンド・ゴンサレスを 4-6, 7-5, 6-4, 4-6, 6-4の死闘の末に、4回戦では第7シードジル・シモン(フランス)を破り、2人のトップ10プレーヤーを破った上で、2年ぶり2度目の準々決勝に進んだが、第3シードのアンディ・マリー(イギリス)に 5-7, 3-6, 2-6 のストレートで完敗した。 フェレーロは2012年10月のバレンシア・オープン500を最後に32歳で現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フアン・カルロス・フェレーロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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