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黄晳暎(ファン・ソギョン、Hwang Sok-yong、、1943年1月4日 - )は、韓国の小説家。いわゆる「ハングル世代」に属する作家の一人であり、21世紀に入ってからは欧米でも高い評価を受け著作の翻訳が進んでいる。ノーベル文学賞候補として有力視される韓国作家の一人である〔連合ニュース2009年10月1日(韓国語) 〕。 == 略歴 == 1943年、当時の満州の首都新京(現長春)に生まれる。本家は現在の北朝鮮に位置する黄海道信川。満州国の消滅に伴い家族と共に母方の実家である平壌に移るが、1947年にはソウル外縁の永登浦に定住。1950年に勃発した朝鮮戦争でまた引っ越しを余儀なくされるが、その後景福中学・高校に通い、1962年に高校を中退する。同年、雑誌『思想界』新人文学賞に『(立石附近)』が入選し、文壇に現れることとなった。 1964年、日韓会談反対デモに参加して逮捕されたことでソウルを離れて各地で寺男や日雇労働など転々とし、1966年に韓国海兵隊に入隊。直後のベトナム戦争に従軍。除隊後に従軍体験を元にした短編小説『(塔)』と戯曲『(歓迎の帆)』を発表し、1970年朝鮮日報新春文芸賞を受賞したことで、作家活動を再開する。 1971年『(客地)」(邦訳:1986年、岩波書店)で高い評価を得ると、1974年-1984年にかけて長編大河小説『(張吉山)』を手がけ、1983年-1987年『(武器の影)』(邦訳:1989年、岩波書店)などでリアリズムを追求した作品を発表し続けた。2000年には『(懐かしの庭)』を発表(邦訳:2002年、岩波書店)し2007年には映画化もされた。同じ2007年には移民、難民の視点から現代世界の哀切を描いた『(パリデギ)』を発表(邦訳:2008年、岩波書店)し、韓国国内でベストセラーとなる。 民主化運動にも携わり、1989年に朝鮮文学芸術総同盟の招きで朝鮮民主主義人民共和国を訪問。反共法違反に問われ帰国することができず、統一ドイツ・ベルリンに亡命した。亡命中に、訪北記を月刊誌の『新東亜』と文芸誌『創作と批評』に掲載。その後アメリカ合衆国に滞在したが、1993年に韓国へ帰国。即座に逮捕され、懲役7年の有罪判決を受ける。1998年3月に釈放されたものの、その後は従来の民主化運動や進歩派と距離を置き、盧武鉉政権や民主労働党を批判する一方で李明博政権を「中途実用政権」と評価した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黄皙暎」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hwang Sok-yong 」があります。 スポンサード リンク
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