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ファン・パラシオス(Juan Palacios、男性、1980年8月31日 - )は、ニカラグアのプロボクサー。マナグア出身。元WBC世界ミニマム級暫定王者。元WBA世界ミニマム級暫定王者。攻撃的なアウトボクシングを軸に、ボディショットから左フックを武器としており、64%のKO率を示すようにKOが高い選手。 == 来歴 == 1999年2月27日にプロデビュー戦に5回TKO勝利を収めた。その後3連勝とも1回KO勝ち。5戦目に空位のWBAフェデセントロミニマム級王座決定戦で初黒星を喫した。 2000年3月11日、ニカラグアミニマム級王座を6戦目に獲得。同年、2001年は無効試合があったものの6連勝となった。 2002年5月25日、空位のWBCラテンアメリカライトフライ級王座を獲得。 2002年10月19日、WBC世界ミニマム級王座戦で王者ホセ・アントニオ・アギーレ(メキシコ)に挑戦するが判定負け。 2003年から2007年にかけては12連勝を果たした。 2008年8月2日、プエルトリコで行われたWBC世界ミニマム級暫定王座決定戦にて3位オマール・ソト(プエルトリコ)と対戦、10回TKO勝利を収め、同王座を獲得した。 2008年11月7日、WBC総会(11月2日 - 8日)のイベントとして中国・成都で9位三澤照夫(帝拳)と対戦四7回TKO勝ちを収め初防衛に成功した。 2009年6月13日、メキシコシティで14位エリック・ラミレス(メキシコ)に10回TKO勝利を収めて暫定王座の2度目の防衛に成功した〔パラシオス、敵地で暫定V2 WBCミニマム級 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年6月14日〕。 2009年11月27日、正規王者オーレイドン・シスサマーチャイ(タイ)と正規王者のホームで王座統一戦で対戦し、苦しめるも偶然のバッティングによる減点が響き、1人はドローで1点・2点差と僅差の判定負け。暫定王座は正規王座に吸収され消滅した〔次は黒木と?オーレードン王座統一-WBCミニマム級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年11月27日〕。 2011年5月21日、メキシコにてWBA世界ミニマム級暫定王者サミー・グティエレス(メキシコ)と対戦し、最大4点差の大接戦になり3-0の判定で辛くも逃げ切り、WBCに続いて暫定王座を獲得しこの階級で2冠目を達成した〔パラシオス、敵地で戴冠 WBAミニマム級暫定 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年5月23日〕。 2011年8月13日、メキシコ・アカプルコのコンベンションセンターにて、ファン・カルロス・レベコと対戦経験を持つ、大関一郎のリングネームで日本でデビューしたアルマンド・トーレス(メキシコ)と対戦。9回TKO勝ちを収めるも前日計量で計量失格となり、王座剥奪された〔パラシオス、大関一郎倒す 王座は空位に ボクシングニュース「Box-on!」 2011年8月14日〕。 2012年5月26日、ニカラグア・マナグアのポリデポルティーボ・エスパーニャでネリス・エスピノサ(ニカラグア)とライトフライ級契約8回戦を行い、8回1-1(75-77、79-73、76-76)の引分でライトフライ級転向初戦はドローに終わった。 2015年3月21日、ギレルモ・オルティスと3年振りに復帰する事が内定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファン・パラシオス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Juan Palacios (boxer) 」があります。 スポンサード リンク
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