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ファーギー・フレデリクセン : ミニ英和和英辞書
ファーギー・フレデリクセン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ファーギー・フレデリクセン : ウィキペディア日本語版
ファーギー・フレデリクセン[ちょうおん]

ファーギー・フレデリクセンFergie Frederiksen、本名:デニス・ハーディ・フレデリクセン Dennis Hardy Frederiksen 1951年5月15日 - 2014年1月18日) はアメリカミュージシャンボーカリスト作曲家)である。TOTOの元メンバーとして知られている。
== 流転のボーカリスト ==
1951年アメリカ合衆国ミシガン州グランドラピッズで、デンマーク系の家庭に生まれる。13歳の時に歌い始め、15歳になると40歳代のミュージシャン・グループコモン・ピープルフライング・ホームをバックにクラブやパブでハイトーンを披露し、10代にしていろいろと学んだようである。セントラル・ミシガン大へは、体操選手特待生として進学〔''linkedin.com Frederiksen owner at Der Rev Music Greater Minneapolis-St. Paul Area" , Retrieved on April 24, 2010.ただし、トト在籍期間には虚偽記述が見られる〕、1年の時にミシガン州チャンピオンとなり、将来のオリンピック選手として期待された。しかしながら、体操ではなく音楽で生計を立てる道を選んだ。1975年に、友人である MSファンクのリード・ボーカリスト、トミー・ショウスティクス加入のため、フレデリクセンに代役を依頼、1976年のMS解散まで同バンドに在籍した。シカゴトリリオンがリード・ボーカリストを探しているという話を聞きつけ加入、1978年エピックより初のレコード・デビューとなる氷牙(原題はセルフ・タイトル)がリリースされた。(デニス・フレデリクセンとクレジットされている。キーボードは後にプロデューサーとして名をはせるパトリック・レナード)通学と音楽活動でミシガンとイリノイを往復するのが苦で同バンドを脱退する。なお、後任ボーカルにはシカゴ大卒の数学者トム・グリフィンが加入、「クリア・アプローチ」をリリースした。現在、ギタリストFrank Barbalaceを中心にサードアルバムを製作中である。
大学卒業後はセッション・ワークを主体として活動、映画音楽コマーシャルジングルに作品を残す。ヴィレッジ・ピープルの映画「キャント・ストップ・ザ・ミュージック」(邦題 ミュージック・ミュージック)のサウンドトラックにおいてデヴィッド・ロンドン名義で、「サマンサ」と「サウンド・オブ・ザ・シティ」を歌い、同アルバムは豪州でチャート1位、英国で9位となる。次作「ルネッサンス」では、全曲の作曲に彼のクレジットが付いている。また同時期に、シェールRudyという曲も提供した。フレデリクセン本人は、このような性癖を持ったグループと活動したことに対して多くを語りたくないとのこと。また、初のソロ・アルバム、「デヴィッド・ロンドン」をスウェーデンメトロノーム・レコードからリリース、同アルバムは流通量が少ないためかなり入手困難である。CMソングでは、クラフト・ゼネラル・フーズ社提供のCM歌を歌ったらしいが、本人が忘れてしまっている事もあり、商品名も判らず、インターネット上では確認出来なかった〔''Endless Dreams Words , Retrieved on April 22, 2010.〕。
フレデリクセンのソロ・アルバムは、エンジェルのキーボーディストのグレッグ・ジェフーリアの手に渡るところとなり、同バンドのリード・ボーカルとなる。ベーシスト リッキー・フィリップスと出会うことともなり、その後の共同プロジェクトの礎となる。エンジェル時代の公式盤は発売されなかったものの、非公式音源集「Angel Rarities collection」にてフレデリクセンの歌声を聞くことが出来る。なお、そのうち数曲はホワイト・シスターのアルバムでは公式曲となっている。
1982年頃にカンサスのリードボーカルのスティーヴ・ウォルシュが脱退。サミー・ヘイガーを含む200人が挑んだ後任選出オーディションでジョン・エレファンテと争そったが敗北する〔''Louisiana Music Hall of FameLeRoux #47 interviews Fergie-Jim-Leon-Rod 1982 " , Retrieved on April 25, 2010.〕。しかし、同バンドのマネージャー バッド・カーの目に留まることとなり後の道が開けた。ジム・ピータリック率いるサバイバーの新リード・ボーカルに収まりそうになったが、結局アルバム「
アイ・オブ・ザ・タイガー
」にてバックグランド・ボーカルをスパークルしただけで終わってしまう。日本ビニール盤ライナーには、Background vocals:Fergie(姓表記なし)と記載されているだけの扱いで印税収入もなかったが、ピータリック人脈は2000年代に入り活きて来ることになる。
83年になると、ル・ルー(前身バンドLevee Bandにボビー・キンボールが所属)のリード・ボーカル・スポットに空きがあるとマネージャーのバッド・カーから聞きつけ加入、アルバム「ソー・ファイアド・アップ」をRCAレコードからリリースする。(前ボーカル ポラードはバプテスト教会の牧師となる)この当時のアナログ盤の表記では、Dennis Frederiksenに戻っていて、カンサスの初期アルバムの録音で有名なルイジアナ州ボガルーサStudio In The Countryで製作された〔''myspace Studio in the Country "Studio In The Country's Photos" , Retrieved on April 28, 2010.〕。フレデリクセンと女優キャリー・ハミルトンとの破局を描いた曲「キャリーズ・ゴーン」はチャートの79位であった。なお、ハミルトンは日米合作映画 TOKYO-POPで主演している。その後、フィリップスらとアバンドン・シェームというユニットを結成、ドラムスにパット・トーピー、ギターにティム・ピアススコット・シーツ、キーボードにジョン・パードルという布陣で、映画Armed Responseのサウンドトラック、 Over Night Sensationなどを制作する。
フィリップスがフレデリクセンのデモ・ビデオをトトのドラマーのジェフ・ポーカロに渡したところ、同バンドに興味を持たれオーディションを受ける。ジェフ・ポーカロが強く強くフレデリクセンを推したこともあり、同予選でエリック・マーティンを退け、キンボールに代わってリード・ボーカルの座を獲得し、トト5枚目のアルバム「アイソレーション」をコロムビアから発売する。「ストレンジャー・イン・タウン」がヒットしたが、セールス的には前作を上回ることは出来なかった。次作「ファーレンハイト」ではバックアップ・ボーカルで1曲のみ参加しただけで、さまざまな理由により同バンドを脱退する。(スティーヴ・ルカサーとの対立が一因と言われている)
1987年頃からは、ボストンのギタリストの
バリー・グドロー
の新プロジェクトRTZでデモ作成に入り、同バンドのボーカルに納まりそうになったが頓挫、デモ音源だけが残っている。バンド名自体、ロンドンの曲Destination Zeroから採ったとする説もある。1991年には、セルフ・タイトルアルバム「Return to Zero」が発売されたが、全てブラッド・デルプ版になっていた。
1988年ドイツに渡り、同国のヘビー・メタル・バンド、Karoのアルバム「ヘビー・バースデー」5曲目、「火の玉」で攻撃的バッキング・ボーカルをイグナイトする〔''Dan Lucas The Official Homepage "Guests Fergie Frederiksen Backing Vocals on Ball of Fire " , Retrieved on April 23, 2010.〕。この録音には、スウェーデンのトミー・ディナンダーも参加しており、フレデリクセンにとっては後期活動における重要な仕事となった〔''Tommy Denander Discography "Karo Heavy Birthday" , Retrieved on April 23, 2010.〕。
この後、「燃え尽きて」しまい、音楽業界に嫌気が差し引退、数年間レストラン・ビジネスに携わる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ファーギー・フレデリクセン」の詳細全文を読む




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