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ファーストパーソンシューター : ミニ英和和英辞書
ファーストパーソンシューター[ふぁーす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ファース : [ふぁーす]
 (n) farce, (n) farce
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ファーストパーソンシューター ( リダイレクト:ファーストパーソン・シューティングゲーム ) : ウィキペディア日本語版
ファーストパーソン・シューティングゲーム[ちょうおん]

ファーストパーソン・シューティングゲーム(英:First Person shooter、略称FPS)とは、主にシューティングゲームの一種で、主人公の本人(第一者)視点(FPSまたはFPV)でゲーム中の世界・空間を任意で移動でき、武器もしくは素手などを用いて戦うアクションゲームのスタイルを指す。基本的に画面に表示されるのはプレイヤーキャラクターの一部(腕など)と武器・道具のみである。混同されがちだが、プレイヤーキャラクターの姿が見えるゲームはサードパーソン・シューティングゲーム(TPS:第三者視点)として区別される。
「ファーストパーソン・シューティングゲーム(First Person shooting game)」は和製英語で、アメリカではファーストパーソン・シューター(First Person shooter)と表現する。「本人(一人称)視点シューティングゲーム」と訳される。また、「ファーストパーソン・シューティングゲーム」という呼称が定着する以前は「3Dシューティングゲーム」や、「DOOM系シューティングゲーム」などと呼ばれており、現在でもそのように表現する人も少なくはない。
広義ではフライトシミュレータのうち主観による空中戦や、剣や魔法による主観型アクションロールプレイングゲームなどを含む、単なる本人視点を指す言葉として用いられる。ここではもっとも狭義となるゲームジャンルとしてのFPSについて解説する。
== 概要と歴史 ==

狭義では、画面に登場する主人公の視点(本人視点、first-person point of view)でゲーム中の世界・空間を任意で移動でき、といった武器、もしくは素手などを用いて戦うアクションゲームを指す。作品によってはレベルが上がったりストーリーを進めるといったRPGのシステムが添加されているものもあるが、前述した条件を満たせばFPSと言える。ジャンルが確立されるまでの黎明期はFPSという言葉はなく、DOOMがあまりに普及したため1990年代当時は英語圏ではFPSの事をDOOM Like(DOOMのような)ゲームと呼び、日本でもDOOM系、Quake系ゲームなどと呼んでいた。また、DOOMは「DOOM酔い」(現在でいう3D酔い)という病気も引き起こし、深刻な社会現象を引き起こしたことでも知られる。
1973年にアメリカで発表された『Maze War』、1974年に同国で発表された『Spasim』を始祖とする(ただし『Spasim』は一種のフライトシューティングであって、狭義でのFPSではない)。日本の作品ではシューティングではないがシステムソフトの『SeeNa』などがある。
しかしながら、上記は1985年の「The Eldolon」のような一人称視点搭乗型シューティング、1987年の「Dungeon Master」のような一人称視点のリアルタイムRPG、1990年の「Wing Commander」などの一人称視点宇宙戦闘機ものへと枝分かれする以前のもので、さらに分離発展した形態であるFPSからすると「原点」であり、厳密にはFPSの元祖というよりバーチャルリアリティゲーム全ての元祖といえる。
そして1991年、id Softwareが自社の迷路ゲームであったHovertank3D(1991)の技術を発展させたCatacomb3D(1991)は現在のFPSと変わらない仕組を確立しており、この作品が現在のFPSの原型ともいえる。
そしてid Software1992年に発表した『Wolfenstein 3D』によってFPSというジャンルが確立され、そして1993年に同社が発表した『DOOM』の世界的ヒットにより、FPSは一気にゲームジャンルとして定着、その後は「DOOMクローン」と呼ばれる粗雑な(もしくはより素晴らしい)類似品が多数出回るようになる。
DOOM(初代とIIとその同世代のゲームたち)では、主にパソコンの性能の限界のために、マップは水平か垂直な面のみから構成される、事前の処理によるバイナリ空間分割を利用しているためマップの大きな変形に制限がある、敵などの物体はスプライトを用いたビルボード(看板の意)と呼ばれる擬似3D手法で描かれる、マップこそ高低差はあったが視点と視線は立ち位置の正面水平方向に固定、照準に上下方向の概念がなく、敵がどの高さにいようが敵の方向を向いて攻撃すれば弾が命中する、など、制限も多かった(DOOMはこういった制限を利用したり、気にならないよう、うまくデザインされていた)。
こういった制限はパソコンの弛まない性能向上によりなくなっていった。
1993年、擬似3Dの中でもマウスにより上下左右自在に視点を変えられる3D Realms社の『Duke Nukem 3D』が登場。
Duke Nukemは殺伐とした殺傷ゲームであったFPSにお笑いの要素を盛り込み、FPSの幅を広げた。
Duke Nukemのクローンも「Blood」のようなホラーから「レッドネックランページ」のようなギャグFPSなど多岐にわたった。
また、1995年にはWizardryで有名なDavid W. BradleyがRPGとFPSの融合を目指し、ストーリー性を重視した「Cybermage」を発表するなど、様々なジャンルで活躍したゲーム開発者が多数FPS開発に参加することでその可能性を広げ、また、その技術をRPGなどに転用するなど、様々なゲームジャンルに革新をもたらすこととなった。
この時期、あまりのブームで粗製濫造され、いい加減な作品もある一方で後々まで語り継がれる名作までPC/AT互換機用に大量のFPSが製作され、MS-DOS時代からWindows95時代までは擬似3DFPSの黄金時代となっていた。
一方、MACではMacの利用者のマーケットがPC/AT互換機ユーザーと異なる点、またソフトウェア開発メーカー自体が少ないなどの問題から作品数は非常に少なく、完全にFPSのブームから蚊帳の外に置かれていた。
しかし、Bungie Softwareが1993年に「Pathway Into the Darkness」、1994年には「Marathon」シリーズを発表。
玉石混合のPC/AT互換機と違い、きわめて優良な品質のFPSが登場したため、MACユーザーの間でもFPSの認知度が広まった。
しかしながら、あまりに市場が小さいMAC市場ではFPSはその後もほとんど出なかった。
しかし、Bungie Softwareの「Marathon」シリーズはPC/AT互換機で多数登場したFPSと比べても非常に優れており、世界的に知られることとなった。
現代的な「完全3D」のFPSが作られたのはその後の1996年、id Softwareから発売された『Quake』が初めてとされる。
ただし『Quake』でも一部武器には上下方向のみ自動照準が作動するようになっており、これは当時マウスによる照準の操作が一般的でなく、上下方向の振り向きもキーボードで行っていた人への救済処置である。現在では振り向きはマウスのみで行うのが一般化されており、現代リリースされているFPSで上下に対してのみ自動照準が搭載されているゲームソフトはほとんど存在しない(上下左右で自動照準が作動するものはコンシューマー系に多く存在する)。
1997年、Quake2では更なるグラフィックの質が高まっただけでなく、敵がプレーヤーの攻撃をしゃがんでかわそうとするなど、敵キャラクターが攻撃重視の動きからある程度防御もするようになった。しかし、アイデアは画期的だったものの未開拓の技術で、しゃがんだらそのまま攻撃を受けてもしゃがみ続けて動かないなど実際の動作は単純であった。
しかし、1998年Epic Games社から発売された『Unreal』がその画期的な技術で世界に衝撃を与える。GlideによるUNREALエンジンはQuake2エンジンを遥かに越える驚異的なグラフィックの美麗さで、3ヶ月たてばグラフィックが陳腐化されるといわれるほど発展の速いこのジャンルでも、その後1年近くトップランナーであったほど頭一つ抜きん出ていた。さらに、敵キャラクターが銃を向けられたら壁を利用してかわしたり、カンフー映画のようなアクロバティックな動きでプレーヤーを幻惑しながら攻防一体の攻撃するなど、まるで人間が操作しているかのような知的な敵AIは当時としては革新的で、その後のFPSの発展に大きな影響を及ぼした。さらに、一人称視点での広大な惑星の冒険という徹底したリアリティを追及し、「ストーリー」ではなくプレーヤーに「体感」させるという、FPSの本来の目標ともいえるバーチャルリアリティを非常に高いレベルで達成し、世界中で絶賛され、世界中のゲーム賞を総舐めにした。
同年末に発売されたValve Software社の『Half-Life』は、UNREALとはまた違ったアプローチで成功する。グラフィックはQuake2エンジンをライセンス取得して独自で拡張したGoldsourceエンジンで、すでにQUAKE2エンジンの作品がありふれた中ではさほど目立つ質ではなかった。しかし、敵AIの素晴らしさ、ゲーム性の高さはUNREALと共に当時の最高レベルであり、また、ストーリーにはSF作家でフィリップ・K・ディック賞受賞者のマーク・レイドロー(Marc Laidlaw)を起用し、しっかりとしたストーリー性と緊迫感のあるゲームバランスは当時のFPSの中でも格別に優れており、たちまち同様のゲーム群の中でも抜きん出て高い評価を受けた。映画のようなムービーを間に挟むシネマティックな演出は昔からあったものの、Half-Lifeのストーリー部とムービー部がシームレスで繋がる絶妙さは「体感」しながら映画のように「観て楽しむ」という新しい境地を開いた。また、「主人公=プレーヤー」でありながら、主人公ゴードンを魅力的でインパクトあるキャラクターとする試みも成功している。謎解きも多くのFPSにありがちな「お使い」ではなく、プレーヤーに苦痛を与えないよう見事に考え抜かれており、世界中で高評価を得、各国のゲーム賞を獲得。また、Goldsourceエンジンの汎用性の高さから数多くのMODが登場し、何百回でも楽しめるというDOOM時代の伝統もきちんと押さえ大人気となった。
このような理由から、『Quake』、『Unreal』、『Half-Life』の三本は現代のFPSの原型となった「FPS三大作品」として認知されており〔GAME Watch『PCゲームレビュー「Unreal Tournament 2003」 』、2002年10月23日〕、それぞれ続編などが作られるシリーズである。
他にもFPSの在り方を変えた存在としてシングルプレーをマルチプレーと同様の物とし、シングルプレーよりマルチプレーをメインとしながらヒット作となった『Unreal Tournament』、『QuakeIII』(共に1999年発売)や、元はHalf-lifeのMODで有りながらゲームシステムを完全に改変した『Counter-Strike』なども挙げられる。
新規開発のエンジンを搭載し、次世代のグラフィックと呼ばれた『DOOM3』と『Half-Life2』の2作品も、FPSとしての評価は別として、FPSに関わらず3Dゲームのグラフィックレベルを一気に引き上げた作品である。
また、FPSはプログラムの方法によっては訓練シミュレーターとしても有効であり、一部では訓練用プログラムの一部としてこのジャンルのソフトウェアを取り入れている国や軍隊も存在する〔GAME Watch『PCゲームレビュー 「America's Army Operations 'Recon'」 』、2002年7月15日〕。
1985年に創業したNovaLogic社はパソコン黎明期よりリアリティ重視のアーミー・FPSやフライト・戦車シミュレーションで有名であるが、単なるアーミーオタクの創業したメーカーではなく、創業者が元軍人である。
その実績から1999年にはアメリカ軍から発注するためのNovaLogic Systems Inc.という別会社を立ち上げ、兵士のための訓練用模擬シミュレータを提供している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ファーストパーソン・シューティングゲーム」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 First-person shooter 」があります。




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