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ファン・アントニオ・ピッツィ(Juan Antonio Pizzi, 1968年6月7日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはFW。スペイン代表であった。 キャリアの大半をスペインで過ごし、特にCDテネリフェではプリメーラ・ディビシオン(1部)定着の基盤強化に貢献した。リーガ・エスパニョーラでは8シーズンで221試合に出場して92得点を挙げ、1995-96シーズンにはリーグ得点王(ピチーチ賞)に輝いた。スペイン国籍を取得し、1994年にスペイン代表デビュすると、4年間で22試合に出場して8得点し、UEFA欧州選手権1996と1998 FIFAワールドカップに出場した。 == 経歴 == === クラブ === アルゼンチンのサンタフェに生まれ、1988年にロサリオ・セントラルからデビューした。1990年にメキシコのデポルティーボ・トルーカFCに移籍し、その1シーズン後にはスペインのCDテネリフェに移籍した。1991-92シーズンと1992-93シーズンだけで30得点を挙げる活躍を見せ、後者のシーズンにはUEFAカップ出場権をもたらした。1993年夏にはバレンシアCFに引き抜かれたが、わずか1シーズンでCDテネリフェに復帰した。1995-96シーズンには41試合に出場して31得点と大爆発し、ピチーチ賞(国内リーグ得点王)とヨーロッパ・ゴールデンブーツ(欧州リーグ得点王)を揃って獲得した。チームに再びUEFAカップ出場権をもたらし、1996年夏にFCバルセロナに移籍した。この時期のFCバルセロナにはロナウド、ソニー・アンデルソン、ルイス・エンリケなどの名選手が在籍しており、絶対的なレギュラーではなかったが、1996-97シーズンにはリーグ戦だけで9得点を挙げ、ファンからの人気は非常に高かった。1996年にはスーペルコパ・デ・エスパーニャで、1997年にはUEFAスーパーカップとコパ・デル・レイで優勝した。1998年にはコパ・デル・レイで2連覇を果たし、リーグタイトルも獲得した。FCバルセロナでのもっとも記憶に残る瞬間はコパ・デル・レイ準々決勝アトレティコ・マドリード戦セカンドレグであろう。FCバルセロナは前半終了時点で0-3と大きく劣勢に立っていたが、ピッツィが決勝点を挙げて5-4という大逆転勝利に導いた。1998年にアルゼンチンに戻り、CAリーベル・プレートや古巣ロサリオ・セントラルでプレーした。2000年にはポルトガルのFCポルトに移籍したが、わずか11試合しか出場せず、2001-02シーズン開幕後に再びロサリオ・セントラルに復帰した。2002年にはマルティン・パレルモを足の負傷で欠いていたスペインのビジャレアルCFに移籍し、そこで現役引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フアン・アントニオ・ピッツィ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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