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フアン・ドノソ・コルテス : ミニ英和和英辞書
フアン・ドノソ・コルテス
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


フアン・ドノソ・コルテス : ウィキペディア日本語版
フアン・ドノソ・コルテス

フアン・ドノソ・コルテスJuan Francisco María de la Salud Donoso Cortés y Fernández Canedo, I marqués de Valdegamas, 1809年5月6日 - 1853年5月3日)は、スペインの貴族(バルデガマス侯爵)、著述家、政治理論家、外交官である。保守主義者として知られる。
==生涯==

===自由主義者としての前半生===
エストレマドゥーラ州バダホス県バジェ・デ・ラ・セレーナで生まれる。生家はコンキスタドールエルナン・コルテスの子孫であり、父のドン・ペドロは弁護士でフランス啓蒙主義や自由主義の影響を受けていた。11歳の時には人文学を修め、12歳でサラマンカ大学に進み法律を学んだ。16歳の時にセビリア大学から学位を取得し18歳でカセレスの大学で講義した。1830年以降彼はマヌエル・ホセ・キンターナの影響を受けた保守的な自由主義者として政治に参画した。1836年には下院議員になり、マリア・クリスティーナ・デ・ボルボンが摂政を務めた頃にはその個人的な秘書として活躍した。しかし1840年以降、バルドメロ・エスパルテロ将軍率いる進歩主義者とラモン・ナルバエス将軍を中心とする保守主義者が争うようになり、エスパルテロ一派が政権を握ったためドノソ・コルテスはマリア・クリスティーナ摂政と共にパリへ亡命を余儀なくされる。このパリ時代にドノソ・コルテスはジョゼフ・ド・メーストルルイ・ガブリエル・ド・ボナールの著作に接し、カトリシズムへと傾斜するようになった。1843年にはナルバエス将軍が政権を奪還し、マリア・クリスティーナ摂政と共に帰国する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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