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フィリップ・デ・モンテ
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フィリップ・デ・モンテ : ウィキペディア日本語版 | フィリップ・デ・モンテ
フィリップ・デ・モンテ(Philippe de Monte, 1521年 – 1603年7月4日)は、フランドル出身の後期ルネサンス音楽の作曲家・声楽家・音楽教師。16世紀後半において最も影響力のあるマドリガーレ作曲家の一人であった。 == 生涯 == メヘレン出身。地元の聖ルンボルド教会で聖歌隊員として音楽教育を受けた後、イタリアに渡って音楽家として名を揚げる。この頃はイタリア風にフィリッポ・ディ・モンテ(Filippo di Monte)と名乗っていた。1543年から1551年までナポリで活動し、その後1568年までオルシーニ枢機卿に雇われローマに滞在。1554年から1555年まで、スペイン王フェリペ2世がメアリー1世と結婚する見込みであったため、フェリペ2世に雇われ一時的にイングランドに滞在する。後に「フェリペ2世の聖歌隊員と仕事をするのは嫌気がさした、スペイン人しかいなかったから」と述懐している。 1568年にヤコブス・ファートの後任楽長として、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の宮廷礼拝堂に勤める。聖歌隊員に新しい人材を補充することに成功し、モンテの着任から2年後にラッススがウィーンの宮廷礼拝堂を訪れたとき、その音楽活動の質の高さに舌を巻いたほどだった。その後モンテは、ハプスブルク家のウィーンとプラハの両方の宮廷に出仕した。プラハで逝去、同地の聖ヤクブ教会に埋葬された。
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