翻訳と辞書
Words near each other
・ フィリッポ・ユヴァッラ
・ フィリッポ・ユヴァラ
・ フィリッポ・リッピ
・ フィリッポ・リーフ
・ フィリッポ礁
・ フィリッポ=ミケーレ・ブオナロッティ
・ フィリッポ=ミケーレ・ブオナローティ
・ フィリドール
・ フィリドールディフェンス
・ フィリドール・ディフェンス
フィリドール家
・ フィリドール防御
・ フィリニャーノ
・ フィリバスタ
・ フィリバスター
・ フィリパ
・ フィリパ・カバレリ
・ フィリパ・デ・ランカストル
・ フィリパ・デ・レンカストレ
・ フィリパ・ピアス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フィリドール家 : ミニ英和和英辞書
フィリドール家[ふぃりどーるか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

フィリドール家 : ウィキペディア日本語版
フィリドール家[ふぃりどーるか]

フィリドール家仏語''Philidor'')は1718世紀フランスの音楽家一族。最も有名な一員は、フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドールであるが、そのほかにも以下の音楽家がいる。
*ジャン・ダニカン・フィリドール(''Jean Danican Philidor'', 1620年ごろ-1679年)は、フランソワ=アンドレの祖父で音楽家。パリでグラン・デキュリー軍楽隊の隊員となる。「ダニカン」は、もともとd'Anicanだったとも、あるいはスコットランド系の由来(ダンカンDuncan)を示すものとも言われている。フィリドール家は後に、添え名として「ダニカン」と名乗るようになる。ジャンは「ルイ13世によってフィリドールの姓を与えられた。ジャンの演奏は、王にイタリアの名オーボエ奏者フィリドーリ(Filidori)を思い出させたからである。」
*ミシェル・ダニカン(''Michel Danican'', 1659年ごろ没)は、フランソワ=アンドレの大叔父。著名なオーボエ奏者で、ジャン・オトテールと共同でショームを改造してオーボエを創り出した。
*アンドレ・ダニカン・フィリドール(''André Danican Philidor'', 1647年ごろ-1730年)は、同名の息子(フランソワ=アンドレ)と区別する必要から、老フィリドール(''Philidor l'ainé'')と呼ばれた。元はグラン・デキュリー軍楽隊の隊員だったが、後にルイ14世に雇われ、フランス宮廷楽団において、オーボエ奏者やクルムホルン奏者として活躍。
*ジャック・ダニカン・フィリドール(''Jacques Danican Philidor'', 1657年-1708年)は老アンドレの弟で、同じく音楽家。地方では「若いフィリドール(''Philidor le cadet'')」として知られていた。
*ピエール・ダニカン・フィリドール(''Pierre Danican Philidor''、1681年-1731年)はジャックの息子で、やはり音楽家。
*アンヌ・ダニカン・フィリドール(''Anne Danican Philidor'', 1681年-1728年)は、アンドレの長子でフランソワ=アンドレの腹違いの長兄。テュイルリー宮殿において1725年から1791年まで演奏活動を行なった、楽団「コンセール・スピリテュエル」の創設者として西洋音楽史に名を残している。
de:Philidor
nl:Philidor'Philidor'')は1718世紀フランスの音楽家一族。最も有名な一員は、フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドールであるが、そのほかにも以下の音楽家がいる。
*ジャン・ダニカン・フィリドール(''Jean Danican Philidor'', 1620年ごろ-1679年)は、フランソワ=アンドレの祖父で音楽家。パリでグラン・デキュリー軍楽隊の隊員となる。「ダニカン」は、もともとd'Anicanだったとも、あるいはスコットランド系の由来(ダンカンDuncan)を示すものとも言われている。フィリドール家は後に、添え名として「ダニカン」と名乗るようになる。ジャンは「ルイ13世によってフィリドールの姓を与えられた。ジャンの演奏は、王にイタリアの名オーボエ奏者フィリドーリ(Filidori)を思い出させたからである。」
*ミシェル・ダニカン(''Michel Danican'', 1659年ごろ没)は、フランソワ=アンドレの大叔父。著名なオーボエ奏者で、ジャン・オトテールと共同でショームを改造してオーボエを創り出した。
*アンドレ・ダニカン・フィリドール(''André Danican Philidor'', 1647年ごろ-1730年)は、同名の息子(フランソワ=アンドレ)と区別する必要から、老フィリドール(''Philidor l'ainé'')と呼ばれた。元はグラン・デキュリー軍楽隊の隊員だったが、後にルイ14世に雇われ、フランス宮廷楽団において、オーボエ奏者やクルムホルン奏者として活躍。
*ジャック・ダニカン・フィリドール(''Jacques Danican Philidor'', 1657年-1708年)は老アンドレの弟で、同じく音楽家。地方では「若いフィリドール(''Philidor le cadet'')」として知られていた。
*ピエール・ダニカン・フィリドール(''Pierre Danican Philidor''、1681年-1731年)はジャックの息子で、やはり音楽家。
*アンヌ・ダニカン・フィリドール(''Anne Danican Philidor'', 1681年-1728年)は、アンドレの長子でフランソワ=アンドレの腹違いの長兄。テュイルリー宮殿において1725年から1791年まで演奏活動を行なった、楽団「コンセール・スピリテュエル」の創設者として西洋音楽史に名を残している。
de:Philidor
nl:Philidor')は1718世紀フランスの音楽家一族。最も有名な一員は、フランソワ=アンドレ・ダニカン・フィリドールであるが、そのほかにも以下の音楽家がいる。
*ジャン・ダニカン・フィリドール(''Jean Danican Philidor'', 1620年ごろ-1679年)は、フランソワ=アンドレの祖父で音楽家。パリでグラン・デキュリー軍楽隊の隊員となる。「ダニカン」は、もともとd'Anicanだったとも、あるいはスコットランド系の由来(ダンカンDuncan)を示すものとも言われている。フィリドール家は後に、添え名として「ダニカン」と名乗るようになる。ジャンは「ルイ13世によってフィリドールの姓を与えられた。ジャンの演奏は、王にイタリアの名オーボエ奏者フィリドーリ(Filidori)を思い出させたからである。」
*ミシェル・ダニカン(''Michel Danican'', 1659年ごろ没)は、フランソワ=アンドレの大叔父。著名なオーボエ奏者で、ジャン・オトテールと共同でショームを改造してオーボエを創り出した。
*アンドレ・ダニカン・フィリドール(''André Danican Philidor'', 1647年ごろ-1730年)は、同名の息子(フランソワ=アンドレ)と区別する必要から、老フィリドール(''Philidor l'ainé'')と呼ばれた。元はグラン・デキュリー軍楽隊の隊員だったが、後にルイ14世に雇われ、フランス宮廷楽団において、オーボエ奏者やクルムホルン奏者として活躍。
*ジャック・ダニカン・フィリドール(''Jacques Danican Philidor'', 1657年-1708年)は老アンドレの弟で、同じく音楽家。地方では「若いフィリドール(''Philidor le cadet'')」として知られていた。
*ピエール・ダニカン・フィリドール(''Pierre Danican Philidor''、1681年-1731年)はジャックの息子で、やはり音楽家。
*アンヌ・ダニカン・フィリドール(''Anne Danican Philidor'', 1681年-1728年)は、アンドレの長子でフランソワ=アンドレの腹違いの長兄。テュイルリー宮殿において1725年から1791年まで演奏活動を行なった、楽団「コンセール・スピリテュエル」の創設者として西洋音楽史に名を残している。
de:Philidor
nl:Philidor


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フィリドール家」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.