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フィリピ ( リダイレクト:ピリッポイ ) : ウィキペディア日本語版 | ピリッポイ ピリッポイ(古代ギリシア語: Φἱλιπποι/ ''Philippoi'') は東マケドニア(現ギリシア領)の古代都市。紀元前356年にピリッポス2世によって創建され、14世紀にオスマン帝国に征服された後、廃れた。現在の都市フィリッポイは、この都市の遺構近くに位置している。日本語聖書の訳語慣行ではピリピ、フィリピとも。新約聖書の一書『フィリピの信徒への手紙』の宛先としても知られる。 == 創建 == ピリッポイは古代マケドニア王ピリッポス2世によって、タソス人の植民都市クレニデス(泉の意)があった場所に創建された。エーゲ海の最北端に近いピリッポイは、オルベロス山(現在のレカニ山)の麓に位置し、カヴァラの12km北西にあり、現在の平野部の北端に位置する。この平野部は当時一面の沼地であって、この沼によってピリッポイは南のパンガイオン丘陵から隔てられていた。ピリッポス2世の意図は、この都市をもって、付近の金鉱の開発を促進し、また軍事防衛の拠点とすることにあった。ピリッポスは海岸沿いの二都市、アンピポリスとネアポリスを結ぶ街道を防衛する要地であった。のちにこの街道は古代ローマにより再興されて、エグナティア街道となる。ピリッポス2世以降、歴代の王は、ピリッポイに自治権を認めた。またピリッポス2世は、南の沼地を干拓させた。 紀元前167年アンティゴノス朝が滅び、ローマ領となったマケドニアは四つに分割された。ピリッポイはアンピポリスを首府とする東マケドニアに編入された。この時期の遺構は、あまり残っていない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピリッポイ」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Philippi 」があります。
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