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フィリピン航空()は、フィリピンの航空会社で、フィリピンのナショナル・フラッグ・キャリアである。 == 概要 == 略称PAL。本社はパサイ市。マニラ首都圏内のパサイ市とパラニャーケ市に、またがるニノイ・アキノ国際空港がハブ(拠点)となっており、同航空便は第2ターミナル、子会社のPAL エクスプレス便は第3ターミナルからそれぞれ発着する(共同運航便(コードシェア便)を除く)。国内便もフィリピンでは国民の重要な交通手段になっている。 1941年3月に設立された、アジアでは最も長い歴史を持つ航空会社であり、フィリピンのナショナル・フラッグ・キャリアである。1946年7月に太平洋横断便を開設しアジア初の国際線を開設する。翌1947年5月にはマドリード線を開設しアジアの航空会社で初めてヨーロッパ乗り入れを開始。1967年には社長兼会長のベニグノ・P・トダ・Jrが、国際航空運送協会 (IATA) 会長に選任される。1946年にIATAが創設されて以来アジア人が会長となるのは3人目であった。 国際線は1954年には国の政策、1998年にはアジア通貨危機と労働争議により一時運航停止になる。特に1998年は会社更生法を申請し、組合がスト賃上げ10年凍結の会社方針に反発、経営陣は組合員の解雇及び全路線運航停止を発表したため厳密にはここで旧フィリピン航空の歴史は設立57年で途切れているが、会社側のプレスリリースではそのまま存続させていて2001年には設立60周年を祝っている。運航停止になった路線は同年内から復活するが、運航を停止した約3,4ヶ月間、香港のキャセイパシフィック航空がフィリピン国内幹線を運航していた時期もあった。 航空券の座席予約システム(CRS)はSABREを利用している。 2007年には、パンパンガ州にあるアメリカ空軍基地であったマカパガル国際空港(現・クラーク国際空港)に5,000万米ドルを投入しアジア諸国のハブ空港として整備する計画を発表した。また電子航空券(e-チケット)化を2007年5月17日に全ての就航都市で完了した。 2013年7月にANAホールディングスがフィリピン航空との航空運送事業を巡る提携に向け交渉中だと明らかにし、同航空の主要株主であるサンミゲル・グループもフィリピン証券取引所の情報開示リリースで、ANA HDと提携交渉している事実を明らかにした〔ANA、フィリピン航空と提携交渉 日本経済新聞 2013年7月9日付〕〔ANA、フィリピン航空と提携交渉 アジア需要取り込み 日本経済新聞 2013年7月9日付〕が、2014年1月23日の発表によると、ANA HDによる同航空への出資や提携交渉が難航しており、コードシェア提携のみとなる可能性が高いとされていた〔ANAとフィリピン航空の投資交渉は難航、コードシェア提携のみとなる可能性も Traicy 2014年1月23日付〕が、最終的には2014年10月1日にANA HDの傘下である全日本空輸が同航空とコードシェア提携およびマイレージ提携を実施することを発表した〔ANAとフィリピン航空は、二社間提携に合意 ANAプレスリリース 2014年10月1日付〕。同年10月26日よりANA運航の成田・羽田-マニラ線と国内線の19路線、PAL運航の成田・羽田・中部・関西・福岡-マニラ線とフィリピン国内線の10路線がコードシェアの対象となり、ANA・PAL間でのスルーチェックインも可能となる。 2016年、設立75周年を迎え2020年代にイギリス航空リサーチ会社スカイトラックスの5つ星評価獲得を目指す方針を打ち出し、新たなブランド・フィロソフィは「Heart of the Filipino(フィリピンの心)」とし、ナショナル・フラッグ・キャリアのブランドと強みを活かしつつ、心から暖かいおもてなし、安全性とサービスに誇りを持ち、運営するとし、特にサービス面では顧客の期待を超えるサービスを目指すとした。また新たな就航地としてサイパンに6月15日から就航し、北米のノンストップ運航と欧州の新規就航を目指すとしている〔A350導入で欧州路線を拡大 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィリピン航空」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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