翻訳と辞書
Words near each other
・ フィリベルト
・ フィリベルト (バーデン=バーデン辺境伯)
・ フィリベルト1世
・ フィリベルト1世・ディ・サヴォイア
・ フィリベルト2世
・ フィリベルト2世・ディ・サヴォイア
・ フィリベルト・ディ・サヴォイア
・ フィリベルト・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ
・ フィリベール
・ フィリベール・コメルソン
フィリベール・サラザン
・ フィリベール・ジャック・メロッテ
・ フィリベール・チラナナ
・ フィリベール・ツィラナナ
・ フィリベール・ド・サヴォワ
・ フィリペ
・ フィリペイオン
・ フィリペンコ
・ フィリペ・コウチーニョ
・ フィリペ・ニュシ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フィリベール・サラザン : ミニ英和和英辞書
フィリベール・サラザン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フィリベール・サラザン : ウィキペディア日本語版
フィリベール・サラザン[ちょうおん]
フィリベール・サラザン(Philibert Sarrasin または Sarrazin, 16世紀初頭 - 1573年5月5日)は、フランス生まれの医師。16世紀後半の著名な医師ジャン=アントワーヌ・サラザンの父。
サン=トーバン=アン=シャロレ(現在のブルゴーニュ地域圏ソーヌ=エ=ロワール県)で生まれた。若い頃、パリプロテスタントの思想に触れ、影響を受けた。その後、ペルピニャンで哲学を講じ(同時にこの頃医学博士号を取得したと推測される)、アジャンではジュール・セザール・スカリジェの息子の家庭教師をつとめた。
1540年代にリヨンに移住し、1550年にはリヨン市立病院の医師となっている。1552年にはリヨンで医師としての著作も上梓している。
ただし、この出版に先立って彼はリヨンを離れており、1551年8月24日にはジュネーヴ市民となっている。後に、ブノワ・ティクシエからジャン・カルヴァンの典医の座を引き継ぎ、晩年のカルヴァンの看病に当たった。1567年にプファルツに逗留した際には、選帝侯フリードリヒ3世の典医となったこともあった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フィリベール・サラザン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.