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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
フィリー・ファナティック(英:Phillie Phanatic / Philly Phanatic)は、アメリカ・メジャーリーグのフィラデルフィア・フィリーズの球団マスコット。1978年から登場し、メジャーリーグの球団マスコットの中でも高い人気を誇る。 == 歴史 == === 誕生 === 1970年代後半、フィリーズの本拠地ベテランズ・スタジアムには、熱狂的ではあるものの酒に酔って暴力沙汰を起こすような粗暴なフィリーズファンが目立つようになっており、子どもや女性など家族連れの足が遠のく懸念があったといわれている。加えて1977年にベテランズ・スタジアムで行われたナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ第3戦での出来事が、マスコット誕生のもうひとつのきっかけになった。この試合の先発だったドジャーズのバート・フートンは、2回裏フィリーズの攻撃の際、熱烈なファンの声援もあってか、審判のボール/ストライクの判定に抗議するなど、冷静さを失い四球を連発して交代になってしまったのである。 当時球団の若い幹部でマーケティングや広報を担当していたデニス・リーマンは、子どもや女性の呼び込みのためには、サンディエゴ・パドレスの本拠地サンディエゴ・スタジアムに登場し、人気者になっていたサンディエゴ・チキンのようなマスコットがフィリーズにも必要と考えるようになっていた。1977年のシーズンオフに、キャラクターの制作がセサミストリート等で実績のあったジム・ヘンソンとタイアップしていた、ニューヨークのハリソン・エリクソン社に依頼された。名前は前述の『狂信的(fanatic)なフィリーズファン』になぞらえ、単語のつづりをフィリーズの"ph-"でもじった"phanatic"とされた。 当時副代表だったビル・ジャイルズは、後年の著書の中で「当時コスチュームデザインは著作権料込みで5,200ドルで、コスチュームデザインだけなら3,900ドルだった。私はコスチュームデザインだけを依頼し、著作権をハリソン・エリクソン社に残した。5年後に球団はファナティックの著作権を買い取ったが、その時は250,000ドルを支払った。これは私の中で最悪の経営判断だった」と回顧している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィリー・ファナティック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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